スキーリゾートにやってきたトマス(ヨハネス・バー・クンケ)、エバ(リサ・ロブン・コングスリ)夫婦と幼い娘のヴェラとハリー。テラスで昼食を取っていると、間近で雪崩が起き、テラスはパニック状態に。幸い大事には至らなかったが、エバはトマスが自分たちを置いて真っ先に逃げ出したことに不信感を募らせる。監督はリューベン・オストルンド。
 物々しい音楽(ヴィヴァルディ『四季』より「夏」。要所要所で使っている)の繰り返し、執拗なまでの言葉による応酬の連続には、つい笑ってしまった。作っている側も、基本真面目ではあるが、これは怖いけど笑えるよな!くらいの気持ちで作っていたんじゃないかと思う。
 トマスがやらかしたことは言い逃れできないかっこ悪さなのだが、トマスは頑なに「逃げていない」と言い張る。逃げたように見えるのは見方の問題だ、と言うのだがかなり苦しい言い訳だ。しかも言い張り続けるうちに、逃げていないというふうに記憶の改変までしてしまい、更に追い詰められると幼児退行して泣き出してしまう。最早コメディにしか見えなくなってくる(泣き出す父親に子供たちが同調し、ママも来て!と要求された時のエバの表情が何とも言えない)。トマスがなぜそこまで追い込まれて(というか自分で追いこんで)しまうのかというと、そういう時に逃げてはいけない、男性・父親は強くなくてはならないという社会的な圧力が相当あるんだろうなと。逃げた自分をネタにすることも許されない感じなんじゃないかなと。
 一方、エバはともすると夫を追求しすぎ、手厳しすぎなんじゃないかという見方もあるだろう。とはいってもエバはトマスを非難してはいるが、それをあげつらうというよりも、あの時トマスが間違っていたということを認めて謝ってほしい、怖かったなら怖かったと言ってほしいというのが本意だろう。意地悪でやっているのではなく、ここでスルーするとこの先ずっと、こういう場合に「見逃す」ことが通例になってしまう、なあなあになるのを避けたいために話し合おうとしているのだ。トマスが泣き出した時によしよしとなだめたりしないのも、そこでなだめるとそういう役割分担が固定してしまうとわかっているからだろう。話し合うのって結構体力いるから、あえてそれをやろうとするのはむしろ根性座っているなぁと思う。なあなあにしない、というところに文化の違いを感じた。