公民権運動が盛り上がる一方で、黒人の有権者に対する登録妨害が続いていた。、1965年3月7日、マーティン・ルーサー・キング・Jr(デビッド・オイェロウォ)は有権者登録妨害に抗議する600人と共にアラバマ州セルマを出発する。しかし間もなく、アラバマ州知事ジョージ・ウォレス(ティム・ロス)が動員した警官隊に、暴力で制圧される。「血の日曜日」事件として知られるこの時の映像がアメリカ中にTVで流れ、抗議のデモは加速していく。監督はエバ・デュバーネイ。
 キング牧師がノーベル平和賞を受賞するところから始まり、彼とその周囲の人たちの人権を巡る戦いが描かれているが、濃密な物語のはずなのに、どこか連続ドラマのダイジェスト版のように見えた。実際にあった出来事、見せなければいけない要素が大きすぎて、時間内に収めようとすると要約したもののようになってしまうのだろうか。じっくり見たい題材なだけに、少々残念。キングの人間像もそれほど掘り下げたという感じではなく、事前知識のままというか、「まあそうですよね」という範囲だった。むしろ、なかなか決定打を出さないジョンソン大統領(トム・ウィルキンソン)や、黒人差別を全く問題だと思わないウォレス知事が登場するシーンの方が、人間性がぱっと垣間見える瞬間があって面白い。ジョンソンがウォレスをついに見限る瞬間など、これも歴史の分岐点かとはっとした。
 キングは勇敢な人だったろうけど、決して恐怖を感じていなかったわけではないし、清廉潔白というわけでもなかったという見せ方をしている。妻に浮気しているんじゃないかと問われて、否定はするがその嘘を見透かされる姿からは、彼の弱い側面が垣間見える。妻の方も、深い霧の中にずっといるみたい、と漏らすように、先が見えず怯え続ける生活に疲れ切っているのだ。自宅に家族への暴力を示唆する脅迫電話がしょっちゅうかかってくる件もあり、これは精神的には(実際問題肉体的にも危険にさらされているし)相当きついなということが伝わる。自分たちがどの方向に向かっていて、何が起きるのかという目星がつかないままというのが、家族にとっては大変堪えたのではないかと思う。家族や協力者を危険にさらす非暴力というやり方にキングは葛藤するが、それでも非暴力を貫く。彼が戦っているものは、同じ土俵で、同じやり方では倒せないものだ。
 それにしても社会運動家にしろ政治家にしろ、社会を動かそうとする人にとって、言葉を駆使できるというのは大きなアドバンテージなんだなと実感する作品だった。特に非暴力という方法をとったキングにとっては、言葉は生命線なのだ。単にスピーチが上手いとか交渉上手だかというだけではなく、自分の言葉でどれだけ話せるかということだ。お仕着せの言葉や建前の言葉だけだったら、こんなに多くの人を動かせなかったろう。キングの実際の演説そのままには使わず、同じ内容を違う言い回しで脚本に起こしたそうだが、ちゃんと真実味のある言葉になっているのは見事。