資源が底をつき、砂漠が広がる世界。守るべきものを失い一人さまようマックス(トム・ハーディ)は、水を独占して砂漠を支配するイモータン・ジョー(ヒュー・キース=バーン)に捕らえられ、輸血用血液として使われる。イモータン・ジョーの配下の軍団長だったフュリオサ(シャリーズ・セロン))はジョーの5人の妻を連れて逃亡をはかる。彼女らを捕らえるために出陣したジョー配下の“ウォー・ボーイズ”の一人、ニュークス(ニコラス・ホルト)の“血液袋”として連れ出されたマックスは、逃げ出してフュリオサたちに協力することになる。監督はジョージ・ミラー。
 旧3部作は正直そんなに面白いと思わなかったのだが、本作は異常に面白かった。物語が大味なのは相変わらずなのだが、数十年の間に監督の映画の基礎体力が上がりに上がったという感じ。セリフの量は少ないしシンプルなので、字幕を見ていなくても何が起こっているのかちゃんとわかるくらいなのだが、それってセリフがなくてもわかるくらいに映像が雄弁で的確だってことだろう。じっとしているシーンが極端に少ない、ほぼ移動し続ける(車の修理を走りながらするのにはびっくりした)作品なのだが、その移動が物語を前進させる原動力になっているようにも見える。映画ってそもそもこういうものだったな!と基本に帰りかつ新鮮な気持ちになった。
 本作、砂漠を巨大なトレーラーがひたすら疾走するだけといえばだけだし、ぱっと見の見所はごてごてにデコられ(スピーカーやらドラムやらもうすごい。走るフェスかよってくらい)改造された車両だったり、一人二人死んでいそうなスタントだったりするが、見ているうちにじわじわ感動が広がっていく。そういった撮影やスタントのやりきった感によるものももちろんあるのだが、登場人物たちの中で沸きあがるドラマに予想外に心動かされるのだ。
 イモータン・ジョーの支配は教祖を崇拝する新興宗教的な側面があり、ウォーボーイズたちはジョーの為に死んで英雄となることを目標にしている。女性たちはセックスと子供を産み育てるためだけの道具だ(母乳の為だけに「飼育」されている女性たちにはぞっとした)。皆、ジョーに心身ともに隷属している。フュリオサたちの逃亡は、自分達は誰かに隷属するだけの存在ではない、自分の魂も身体も自分のもので、誰かに消費される為のものではないと証明する為のものだ。これは男性とか女性とか、若いとか老いているとかとは関係ないことだ。更に、怖気づいていた妻たちが徐々に戦いに参加し、加えて自分の為だけでなく、自分がもう駄目でも仲間の為に何かを残していこうとする。また、ジョーを崇めていたニュークスが、妻の一人とのふれあいの中で、他の人を労り助けようとするようになる様にはぐっときた。自分の誇りの為のことが、徐々に他人の誇りのためのことにもなっていく。
 本作、題名にはマックスの名がついているが、マックスはむしろフュリオサたちのサポート的な立ち回りをする。マックスは元々部外者かつ一匹狼で、誰かへの隷属は拒んでいるからそれも当然か。