高齢者向けの施設で暮らすカンボジア系中国移民のジュン(チェン・ペイペイ)の元を、青年リチャード(ベン・ウィショー)が訪ねてくる。リチャードはジュンの息子カイ(アンドリュー・レオン)のパートナーだったが、カイはそれをジュンに告げることが出来ないまま死んだ。リチャードはジュンのことを気にかけ、英語を話せない彼女の為に通訳を野党。監督はホン・カウ。
 低予算映画だそうだが、低予算には見えない美術の上品さときめ細やかさ。色合いの取り合わせやふわっと柔らかく見える光の加減など魅力があった。ジュンの暮らす施設は、入居者が若い頃の気持ちに戻れるように調度を50~60年代ごろのデザインでそろえてあるという設定なのだが、ノスタルジックな雰囲気がある。
 しかし、ジュンとリチャードにとっての愛するものの死はいまだ生々しい。ジュンはカイと一緒にいることを望み、なんで施設に入れるのかとカイをなじっていた(彼女のカイへの愛が執着めいて見えてしまって少々きつかった。家族主義文化にいる彼女にとって、他人であるリチャードを優先させることは許せないのだ)。カイと同居している「友人」リチャードは、彼女にとっては邪魔者なのだ。一方リチャードは、自分がゲイであることを母親に言えなかったカイの苦しみをよくわかっていると同時に、カイと自分の間にあった愛がジュンの前ではなかったことになってしまうことに苦しむ。
 ジュンとリチャードの対面はピリピリしているのだが、どちらが悪いというわけではなく、双方が愛するものの喪失に苦しんでいる(加えてリチャードはそれをあらわに出来ない)。お互いに共通言語がないので、そのへんを具体的に話し合うことも2人だけでは出来ない。このあたりがもどかしく、なかなかに辛かった。しばしば、それぞれのカイと過ごした時間がよみがえるが、双方それぞれカイを大切にしていることがわかるので余計にやるせない。リチャードのやっていることがちょっととんちんかんにも見えるのだが、違う文化圏の相手にどう接すればいいか、彼なりに模索しているんだろうなと思った。
 文化圏が違うという問題は、何よりもジュンとカイの間で発生する。ジュンは中国人として生きており、英語も離せない。しかしカイは中国語こそ話せるものの、イギリスでの生活に馴染んでおり母の母国に対する思い入れはさほどないようだ。更に、母親はゲイである自分を拒否するのではと恐れている。明かすことをためらううちに死んでしまうのだ。親子双方にとって取り返せないものになってしまうのが痛ましい。
 おなじ家族の中でも所属する文化圏が違う、というのは翻訳小説等読んでいると時々見かけるが、結構大きな問題なんだろうということが透けて見える。これ他人だったらそこまでギャップは気にならないんだろうな。なまじ近い関係だから差異をスルーすることが難しくなっていくのだろう。実際問題、カイとジュンが一緒に暮らすのはなかなか大変だったと思うのだが、別居したら別居したで、カイは母親を見捨てたという思いに苛まれる。このジレンマは、親が老いてきた人には突き刺さるのではないかと思う。