1910年、ジプシーの女の子が生まれた。パプーシャ(人形)と呼ばれるようになった娘は、文字に興味を持つようになる。1949年、パプーシャ(ヨヴィダ・ブドニク)がいるジプシーの一団は、秘密警察に追われる文学者の青年イェジ・フィツォフスキ(アントニ・パヴリツキ)をかくまうことになる。フィツォフスキはパプーシャに詩人の才能があると見抜き、彼女に詩を書きとめて自分に送ってくれと頼む。やがてフィツォフスキはジプシーに関する研究書を発表し、パプーシャの詩も出版する。著作は評判となるが、パプーシャはジプシーの秘密を漏らしたとして仲間から村八分にされてしまう。監督はクシシュトフ・クラウゼ&ヨアンナ・コス=クラウゼ。
 パプーシャは実在した初の女性ロマ(作中では時代背景の関係でジプシーと表記)詩人。彼女の人生を映画化した作品で、モノクロの映像が詩情に満ちていて大変美しい。野山のロングショットなど引き込まれた。また、背景に見え隠れするポーランドの歴史やジプシーに対する政策の変遷も興味深い。しかし、一人の女性の人生としてはかなり辛く、見ていて暗澹たる気持ちになる。作中で、上流階級の婦人が少女のパプーシャに「聡明な女性は生きづらい」と言うのだが、全くそういう話なのだ。
 パプーシャは文字に興味を持ち、ひそかに読み書きをおぼえる。しかしそのことをジプシーである親たちは喜ばない。たちの悪いものに魅入られた、みたいな扱いになるのだ。そして後にはジプシー集団から追放される。本作で描かれるジプシー集団はかなりのマッチョな男社会で、女性には生む性としての役割以外は求められない感じなのだ。パプーシャは文字によって知識を得、また詩という形で自分の内面を表現することができる。しかし、夫をはじめ仲間に介入出来ない世界を持つことは、この集団では歓迎されないのだろう。また、彼女は不本意に年長の夫と結婚した時、生むことを拒否している。この時点で彼女は既に所属集団になじまない存在になっているのだ。ジプシーというと国家や法にとらわれず自由というイメージがあるが、その一方で、集団内では非常に縛りがきつい。
 かといってパプーシャは、都会に暮らすこともできない。彼女のアイデンティティーはジプシーとしてのものだ。また、彼女の詩の才能を見出したフィツォフスキも、彼女が置かれている立場をよくわかっていないし、ジプシーにとって記録を取られるのがどういうことかといったギャップについても無頓着で、彼女の助けにはならない。彼女はどこにも居場所がなくなり、精神を病んでいく。
 パプーシャが文字なんて覚えなければよかったと漏らす姿は痛ましい。彼女の表現は文字なくしては残らないものだし、彼女はおそらく表現せずにはいられなかった人なのに。