中国系移民の子としてニューヨークにやってきたサミー(ジャスティン・チョン)とスティーブン(ケヴィン・ウー)は、兄弟のように育った。1980年代のアメリカでは不法移民が急増した為、移民改革統制法が成立したが、蛇頭と呼ばれる密入国ブローカーやギャングたちが暗躍するようになった。少年だったスティーブンはギャングの一員となり、サミーもそれに従う。2人は徐々に頭角を現していく。監督はアンドリュー・ラウ&アンドリュー・ロウ。製作総指揮はマーティン・スコセッシ。
 スコセッシがどの程度口を出したのかはわからないが、序盤のスピーディかつ畳み掛けるようなカットのつなぎ方には、あースコセッシぽいかもなーと思った。本作、全体的にスピード感があって、話の進め方が非常に手際がいいし、冗長さがない。この密度で100分足らずというのは驚きだ。娯楽作かくあれ、というお手本のようなサイズ感。
 ただ、娯楽作というにはかなり苦味が強い。ひとつには、サミーたち移民が見たアメリカの姿の苦さだ。本作は移民から見た現代アメリカ史であり、アメリカという国の一面を示している。サミーとスティーブンは運よく移民としてアメリカに迎えられるわけだが、そこでの生活は母国で夢見ていたものからは程遠い。移民街でひしめくように生活し、必死に働いても得られる賃金は僅かだ。また、移民街はギャングに仕切られており、弱者は搾り取られるばかり。スティーブはそんな生活に嫌気がさし、母親を捨ててギャングになる。彼は自由が欲しいと言い、確かにギャングになって以前よりも金と権力による自由さは増した。しかし、ギャングの一員であることは、ギャングのルールに縛られることだ。ある面ではより不自由になったとも見える。
 もう一つの苦さは、サミーとスティーブンの青春時代の夢の終りから来るものだ。子供のころからスティーブンが率先して動き、サミーは後からついていくような関係だったが、ボスがかっているのはサミーの方だ。スティーブンは「現場」担当として力を発揮するようになるが、徐々に暴走傾向を見せていく。スティーブンもサミーも徐々に助け合う関係ではなくなっていくし、お互いに見ている風景が変わってきてしまうのが辛い。
 そして、「悪い奴ほどよく眠る」とはよく言ったもので、本当に悪い奴はこうふるまうものだ、というラストには暗澹とした気持ちになった。アメリカンドリームがこういうことなら、何ともやりきれない。