ソウルから小さな港町に署長として赴任してきた警官ヨンナム(ペ・ドゥナ)は、14歳の少女ドヒ(キム・セロン)と出会う。母親は蒸発し、ドヒは継父ヨンハ(ソン・セビョク)と祖母から暴力を受け続けていた。漁業の為に外国人労働者をあっせんしてくるヨンハを村人たちは大目に見ており、ドヒへの暴力にも見て見ぬふりだった。見かねたヨンナムはドヒを保護するが、ドヒは徐々にヨンナムに執着していく。監督はチョン・ジュリ。イ・チャンドンがプロデュースしたことでも話題になった。
 田舎町の閉塞感とか、性別や職業によって枠ががちがちにはめられているところ、「こう」でなければという強制力みたいなものがじわじわ侵食してきてきつかった。ヨンナムの歓迎会で、カラオケ強制されて本人が一番居心地悪そうにしているところとか、うわーきついわーと。ヨンナムに心底同情した。この土地では(というか世間一般でそうなのかもしれないけど)「そういうもの」とされているのだが、そこに乗っかれない人ももちろんいるのだ。何にしろ、こういうことをやる人はこういうタイプ、というように、あるカテゴリーで人をひとくくりにしてしまう見方がされ、息苦しい。そういうのは個人やその背景によってまちまちで、括れないものなのに。保守的な土地柄が垣間見られて、こういう土地で女性であること、女性警官であることのしんどさがじわじわときた。同僚(部下)の男性警官たちはヨンナムに対してにこやかに応じるしあからさまに無下にはしないけれど、それは「仲間」としては扱っていないということでもあるのだと思う。ちょっと距離のある「大事なお客様」扱いで、あくまで部外者として見ているのだ。
 また、ヨンナムがやろうとすることは、ヨンハへの注意にしろドヒの保護にしろ、大人として、特に警官という職業柄当たり前のことだ。特にヨンハの商売に関しての対応は、ヨンナムが警官である以上、見てしまったら対応しないわけにはいかないという類のものだ。しかし、港町のローカルルールではヨンナムの対応の方がするべきではない、不適切とされてしまう。ある意味カルチャーショック。その風通しの悪さや偏見が、ヨンナムを徐々に追い詰めていく。ドヒを追い詰めていったのもまた、そういうものだったのではないかと思う。抗議して当然なことに対する抗議が、ああいう極端な形でしかできないというのは、やりきれない。
 ドヒはヨンナムに懐いていくが、その執着の仕方が自分にとっては怖かった。一気に距離を詰めてこられると立ちすくんでしまう(本作の良し悪しとは関係なくて、見ている私の側の問題なのだが)。この分はホラー映画のようだった。ドヒがそういうふうにしか好意を示せないのは、それまでの育ち方に原因がある(まともな愛情のやりとりをしたことがない)のだが。