ジャズドラマーとしての成功を夢見て名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)は、伝説の教師と呼ばれるフレッチャー(J・K・シモンズ)に師事する。しかしフレッチャーは理不尽とも思える指導や容赦ない罵倒でプレッシャーを与えてくる。監督はデイミアン・チャゼル。
 面白いと評判だし、確かにつまらないわけではないんだけど、何か違うなーという気分をぬぐえなかった。話のリアリティ云々とかキャラクターが云々というわけではない。フレッチャーはパワハラモラハラセクハラをフル活用する、実際だったら速攻で学生が大学上層部に訴えてクビであろうくそったれだし、ニーマンも自己愛をこじらせたような若者だ。2人ともあまり好感の持てる人ではない。もっとも、それはそういうキャラクター設定にしているのだろうから、それはそれでいい(フレッチャーに関してはすごーく嫌な気分になったけど)。
 ただ、2人が音楽をやっている人なのに、音楽がすごく好きだという感じがしない。音楽そのものと向き合っているのではなくて、自分の面子の為に音楽を使っているように思えた。フレッチャーが終盤で行うある行為は、まさにそういうものだろう。演奏がビッグバンド形式、つまり「合奏」なので、よけいに解せない。フレッチャーの行為はバンド全体をめちゃめちゃにするものだ。すぐれた教師だというのなら、何で自分の教え子たちの音楽をつぶすようなことをするのか。また、音楽を愛しているのならなんで演奏をめちゃめちゃにするようなことをするのか。
 ニーマンにしても、偉大な音楽家になりたいというばかりで、どういう音楽をやりたいのかわからないし、ソリストならともかくバンドの中で演奏しているのに他の人の音を聴いている感じがしない。自分のことばかりなのだ。バンドってそういうものじゃないんじゃないの、全員で音楽を作っていくものなんじゃないのと、すっきりしない。
 では音楽は一旦置いておいて、ニーマンとフレッチャーのバトルものとしてはどうかと思ったのだが、こちらもいただけない。フレッチャーのプレッシャーの与え方がモラルハラスメントすぎるのだ。いきなり相手、しかも自分より立場の弱い者を恫喝し支配権を握り、一方的に痛めつけるというのは、戦い以前の問題になってしまう。私にとっていいバトルものとは、双方が憎しみあっていたとしても、対戦相手としての敬意は持っているようなものだからだ。最後にとってつけたような展開があるが、お互いにお茶を濁したといった程度で、敬意は感じられなかった。
 フレッチャーは、チャーリー・パーカーはけなされたことから奮闘して天才として開花した、パーカーが生まれるならいくらでも生徒を罵倒すると言うが、そもそもパーカーはけなされようが褒められようがパーカーになったと思うんだよね。そこにフレッチャーのような教師は不要だろう。プレッシャー与え続けないと育たない才能なんてその程度のもので、どちらにせよフレッチャーの元にパーカーは現れないんじゃないかな。