かつてヒーロー映画『バードマン』シリーズで世界的なスターになった俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、今では落ち目。再起を賭けてブロードウェイの舞台に挑むが、出演俳優が怪我で降板。代役として舞台での評価が高いマイク・シャイナー(エドワード・ノートン)が起用されるが、トラブルメーカーのマイクに周囲は振り回される。監督はアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。
 1カットで撮ったかのように見える撮影が話題となり、アカデミー賞でも撮影賞を受賞した本作。確かに全編途切れない長回し、1カットで撮っているように見えて唸った。単に技術として感心するというだけではなく、カットが途切れないことで、否応なく時間が過ぎていく感が強まって緊張感が増し、焦るリーガンの心境と呼応していくようでもあった。1カットの中で場所も色々移動するし、数日間が経過する(いきなり翌日になってたりする)。時間と空間が凝縮されているという点では、舞台劇から受ける印象と似ているかもしれない。
 リーガンは舞台が主戦場のマイクや辛辣な演劇批評家に、ハリウッドの「スター」(俳優ではなく)であることをさんざん揶揄される。本作はいわゆるハリウッドの大作映画に対しても、「舞台」に対しても色々含むところあるんだろうなぁという言及を多々含んでいる。アメコミ原作のヒーロー大作なんて映画じゃない!(が「映画らしい映画」であろう自作はヒットしない・・・)、舞台舞台って映画をバカにしやがって!みたいな呪詛が聞こえてきそうだ。リーガンが降板した俳優の代役を探すくだりで、俳優の名前を次々と出して、どいつもこいつもヒーロー映画に出てやがる!とカッカするのには笑ってしまった。確かに近年、人気俳優、しかも演技力に定評のある俳優がヒーローものに出演するケースが増えた印象はある。そういえばノートンも出演している(『インクレディブル・ハルク』)んだよなぁ。元ヒーローという点では実は主演のキートン(元バットマン)と同じなのだ。ノートンはヒーローものピンポイントで評価が低かったわけだけど・・・。
 マイクは役になりきるリアルな演技(いわゆるメソッド演技法)を実践しておりリーガンにもそれを要求する。しかしリアルさを追求した演技と、本当の「リアル」が同じ土俵に立ったらどうなるのか、本物の「リアル」には太刀打ちできないのでは、という皮肉が本作のサブタイトル(このフレーズを使った作中人物は逆の方向での皮肉を込めてるんだけど)に漂う。
 そもそも「リアル」とは何なのか。リーガンはもう一人の自分とも言えるバードマンに絡まれたり超能力を使って楽屋をめちゃめちゃにしたりする。やがて爆撃機や隕石が落下し、巨大な化け物が姿を現す。精神的に追い詰められたリーガンが見ている妄想とも取れるが、リーガンにとっては現実、リアルだ。そのリアルは、マイクが言う所のリアリズムとは全く別のベクトルを向いている。が、(少なくともリーガンにとって)リアルには違いない。記号的なヒーローだろうが荒唐無稽あるいは陳腐なスペクタクルだろうが、見ている側が真実味を感じればリアル、それがフィクションというものだろう。