1990年12月24日、城東第三中学校の生徒・藤野涼子(藤野涼子)は、同級生・柏木卓也の遺体を校舎の裏手で発見する。警察は事故死と断定するが、様々な噂が飛び交い、柏木をいじめていた不良生徒・大出俊次(清水尋也)を殺人犯と名指しした怪文書が学校に届く。藤野は自分たちで真相を掴もうと、柏木と小学校で同級生だった神原和彦(板垣瑞生)の協力を得て、学校内裁判を開廷することを決意する。原作は宮部みゆきの同名小説。監督は成島出。
 大人となった藤野が母校を訪れ過去を語るという構成。過去の話であるというところが強調され、あの時代を感じさせる衣装、小道具等にも目配りが細かい。しかし、作品自体には不思議と時代性を感じない。時代を飛び越えた寓話的なものとして感じられた。
 寓話的と感じたのは、本作が非常に記号的、ベタな表現を(もちろんあえてだろう)多々使っているということも一因だと思う。特に前篇の序盤、親子のやりとりとか家庭の様子とか、丁寧な紋切型とでも言いたくなる、細やかだけどど直球のベタだ。藤野の、生真面目だがバランス感覚があり賢い中学生という造形も、ある種の理想像としての典型だと思う。
 更に、後篇の学校内裁判が始まると、法廷シーンは実際の裁判の場というよりも(そもそも学校内裁判なので判決によって処罰を与えたりするものではないと前置きしてあるし)、事件の関係者それぞれが自分の体験・心情を吐露する「場」としてどんどん抽象化されてくるように見えた。判決を下すことよりも、それぞれが隠してきたことを告白することに主眼が置かれているのだ。それが許される場をつくることが、学校内裁判の役割だったのだろう。なので、ミステリとしての謎に関しては、本作での言及はあっさりとしているし、複雑な事情があったというわけでもない。複雑なのは、生徒や教師、父兄の心と、それが引き起こす相互作用なのだ。
 本作の面白い、特異だな思った所は、14歳の少年少女が当事者だったからこそ起こった事件であり、裁判であるという所だ。藤野は柏木のある言葉に傷つくが、もし大人だったらそう傷つかないだろうし、その言葉が柏木にブーメランとして返ってくるものだと指摘するかもしれない。そもそも大人は柏木みたいなことは言わないだろう。それが良いことなのかどうかはわからないが、14歳に戻りたいかと問われたらまず戻りたくないなと痛感させられる作品だった。