父(チョ・ジェヒョン)、母(イ・ウヌ)、息子(ソ・ヨンジュ)の3人家族。夫と若い愛人(イ・ウヌの二役)との浮気を許せない母は、夫の性器を切り取ろうとするが失敗し、息子の性器を切り取り家を飛び出す。性器を失った息子への罪悪感にさいなまれた父は、ある代替法を見つけ出し、息子との絆が回復したかに見えた。一方、息子は密かに父の愛人を訪ねる。監督・脚本はキム・ギドク。セリフを一切使わず、肉体と話声以外の声(笑い、泣き、叫び)のみで構成されているが、それが全く不自然でないという所は見事だった。
 過激な内容から、韓国では上映規制がかけられたそうだ。確かに夫と息子を去勢しようとする母親というシチュエーションは強烈だが、上映中は客席から結構笑いが起きていた。なんか、極端なことを大真面目にやっているので、客観的にはかなりおかしなシチュエーションではある。熱が入りすぎて妙なことになっているのだ。父親と息子が性的な快感の代替品を調べてだんだん息があってくる過程など、コメディのようでもある。一緒に検索とかするなよ!とツッコミたくなる。すごく痛そうなシーンが多いし、家族・男女の関係性もヘビーなのだが、変なおかしさもあった。悲劇と喜劇は表裏一体だとよく言うが、ほんとそうだなと。
 本作、一見家族と男女のからみあった愛憎を描いているように見えるが、どちらかというと父・息子サイドの男性の物語としての側面が強いと思う。男同士が性的な方向性(の喪失)の一致という点で関係を深めるが、女性側は男性に対する「母」ないしは「愛人」という位置づけの2択のみで、それ以外の何かが見当たらないし、女性側のドラマというのはあまりない。母と愛人を同じ俳優が演じているのも、ひとくくりに「女性」というカテゴリーを意味しているように思える。
 息子も父親のような女性とセックスできる存在になっていくことを母親は許せず、去勢という方向に走るのだろうが、父親と母親が息子を取り合っているようにも見えた。父と息子が母を取り合うというのはオイディプスじゃないけどよくあるパターンだろうが、父と母とが息子の取り合い、というのは、性的なものというよりも家庭内パワーバランス問題みたいで、より実生活っぽい気がした。まあ実生活で夫や息子の去勢はしないだろうが・・・。
 とはいっても、キム・ギドク監督はやはり現代の神話のようなものをやりたいのだと思う。セリフを排したドラマ作りも、固有名詞のなさも、固有の物語というよりもある一つの型のようなものに見せたかったからではないか。