地球規模の環境変化で作物が不足し、深刻な食糧難の進む近未来の地球。宇宙開発に割く予算も資力もなくなり、元宇宙飛行士のクーパー(マシュー・マコノヒー)は、トウモロコシ農家に身を転じていた。ある日、恩師のブランド教授らが密かに宇宙探索計画を立てていることを知り、搭乗員として抜擢される。しかしそれは、幼い娘マーフ(マッケンジー・フォイ)と二度と会えなくなるかもしれないことを意味していた。監督はクリストファー・ノーラン。
 ノーラン監督作品は毎回面白いとは思っているし、それなりに楽しみなのだが、もう一度見たいとはそれほど思わない、というのが正直なところ。なぜなら、作品の構造は良く考えている(多分)のがわかるんだけど、タイムシートとしての構成が下手、というかそこにあんまり気を使っていないからだ。要するに長すぎるからだ。本作も、見ている間はそれほど長さは感じないが、見終わった後で、うわーもうこんな時間か・・・あそことあそこカットできなかったのか?って気持ちになってしまう。その長さの部分で、見終わった後の満足感が差し引かれてしまうのでもったいない。
 今までのノーラン監督作よりも、かなりプライベートな関心の部分に内容を寄せてきたなという印象を受けた。ジャンルとしてはSFになるだろうし、宇宙空間の表現、特に無音であるということの見せ方(聞かせ方)にははっとするものがあった。ただ、ストーリー自体はそれほどがっちりと設定を作りこんだSFというわけではないと思う。中心になるのは父親と娘の関係であり、それ以外の要素は、親子関係を際立たせる為の舞台装置と言ってもいい。父と娘の心理的な距離やすれ違いが、宇宙と地球との距離、そして時間の流れの差異(これを持ち込んだのは上手いなーと思った)と呼応していく。個人的な愛が個人の問題を突き抜けて世界を変えていくというのは、実際にそういうものだというよりも、そうであれ、という祈りのようなものではないかと思う。
 一方、父と娘の関係が強調されればされるほど、息子トム(マーフの兄)の存在が気になった。彼もまた父の子供ではあるのだが、最初からクーパーとの関係はマーフほど濃くない。愛してはいるが別のタイプの人、という感じだ。クーパーの義父は、トムは大丈夫、でもマーフは(心配だ)と言うが、トムだって大丈夫じゃなかったんじゃないだろうか。彼の方が年長だから父親への理解も示すが、やはりマーフと同様に捨てられたという思いを持ち続けていたのでは。成長したトムの胡乱さを見ると強くそう思う。演じているのが私の中でMr.みそっかすないしはMr.胡乱なケイシー・アフレックなので、またお前か!と突っ込みたくなったが。トムにはおそらく、マーフがたどりつくような「解」はなかったのだろうと思うと、どうにも複雑な気分だ。前へ進むためには何かを置いていかないと、という言葉が作中で出てくるが、置いて行かれたものはどうすればいいんだろう。
 なお、本作ロボットが非常にかわいい!まさかノーラン監督作で人工知能萌えゲットするとは・・・。あれはモノリスがモチーフになっているのだろうか・・・。ちょっと笑っちゃうデザインなんだけど合理的と言えば合理的。