イスラム過激派として国際指名手配されている青年・イッサ(グレゴリー・ドブリンギン)は、ドイツのハンブルグへ密入国する。イッサは人権派弁護士アナベル(レイチェル。マクアダムス)を介して銀行家ブルー(ウィリアム・デフォー)とコンタクトをとる。ブルーが管理する秘密口座には父親の遺産があり、相続したので引き出したいというのだ。ハンブルグの諜報機関でテロ対策チームを率いるベテランエージェントのギュンター・バッハマン(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、イッサの資産がテロ組織への資金援助に使われるとふみ、彼をマークし始める。原作はジョン・ル・カレの同名小説。監督はアントン・コービン。
 コービン監督作品は『コントロール』『ラスト・ターゲット』と見てきたけど、冷ややかな質感と撮影の美しさが好みだ。また、『ラスト~』と本作見て思ったのだが、原作の読み込み・再構築が案外うまいのかもしれない。脚本家が上手いんだといえばそれまでだが、原作のテイストの抽出度の調整がいい塩梅と言えばいいか。映画監督としてはどんどん手堅くなっていると思う。
 本作における、いわゆるインテリジェンス戦は、壮絶さとか複雑さというよりも、なんだか心もとない、むなしいという印象。同じル・カレ原作映画でも『裏切りのサーカス』は、まだスパイがスパイとしての自分の立ち位置や使命感みたいなもの(それが幻のようなものであれ)を保持しやすい時代の話だったのかなと。本作には、『裏切りの~』のような一種のセンチメンタリズムや哀愁がなく、「こういう時代なんで」と突き放す感じ。個人の感情や倫理観が介入する余地があんまりないのだ。システムの一部という側面がより強くなってきているように思った。そんな中で、何とかあまり非人道的ではない落としどころをさぐろうとする(彼だって決して甘い人間ではないのだが)ギュンターのあり方は、時代遅れになりつつあるということなんだろう。幕切れでの思いの置き場のなさはやりきれない。原作よりも、ギュンターのお疲れ感、不器用感が強調されている(演じるシーモア・ホフマンが出している味なんだと思うが)だけに一層。
 自分の正しさのありかについて、さまよい続ける人たちの群像劇のようでもあった。とりあえずやれることをやろうとする、が、それは本当に世界を良くしているのか?そういうものがどんどん見えにくくなっている時代の物語なのだろう。