ホームセンターで働くマッコール(デンゼル・ワシントン)は、深夜に馴染のダイナーで娼婦の少女テリー(クロエ・グレース・モレッツ)と他愛のない会話を交わすのが日課だった。ある日、テリーが売春グループを仕切るロシアンマフィアに暴力を振るわれ入院する。マッコールはテリーを自由にするべく、かつて身につけた「技能」を行使する。監督はアントワン・フークワ。
 デンゼル・ワシントンの必殺仕事人、はたまためっちゃ成功した『タクシードライバー』かといった感じで、とにかくデンゼル・ワシントンが強い!以上!と言いたくなるくらいシンプル。ワシントンの無敵っぷりを楽しむ為の作品だろう。マッコールは自前の武器を持たず、手近なものを武器にして戦うという設定なので、これをこう使うか!という楽しさもあった。彼の職場をホームセンターにしたのは、クライマックスのアレをやりたかったからかとニヤリとさせられる。ホームセンターは武器の宝庫ですね・・・。
 ただ、マッコールがどうやって戦闘を組み立てるか、何をどう使ったのかという部分を、いちいち強調するような見せ方をしているのは、ちょっとダサいなと思った。そこまで親切設計にしてくれなくても観客はわかってくれると思うが。もっとも、本作全体的に「ちょっとダサい(スタイリッシュを目指したがスベっている)」感のあるルックスで、そこが味になっていると思う。
 マッコールは当初、自分の「技能」を使うことはないし、テリーを救おうとするときも、まずは金でマフィアと交渉する。しかし一度「技能」を行使すると、その後はタガが外れたように行使の頻度が上がっていく。彼はマフィアに食い物にされる弱者を助ける正義の味方として行動するが、やっていることはもちろん違法だし、その正義も、彼が正義と考えているものにすぎないと言ってしまえばそれまでだ。更に、彼ができるのは目の前の誰かを救うことなので、あとからあとから出てくる「悪の組織」を前にするといたちごっこのように見えてしまう。日常は非常に几帳面で抑制の利いた人が、黙々と「正義」を執行していく姿は、ともするとマフィアよりも理屈に合わず狂気じみて見えた。彼が作中で読んでいる騎士の物語はおそらくドン・キホーテだと思うが、マッコール自身と重ねているのだろう。『老人と海』も同様で、全く割に合わず理不尽に見えても、自分にとっての正しさを行使する人の物語と言える。マッコールもまたそういう人なのだろう。