アメリカ東海岸、マサチューセッツ州の港町ニューベッドフォードから出向した、底引網漁船アテーナ号。カメラは船と共に絶海へと向かう。監督はルーシァン・キャステーヌ=テイラー&ヴェレナ・パラヴィル。2人は映像作家であると同時に、ハーバード大学「間隔民族誌学研究所」所属の人類学者でもある。
 底引網漁漁船に密着したドキュメンタリー、ではあるものの、底引網漁がどういったものか、どういう魚が捕れるのか、漁師たちの生活はどのようなものか、といった普通のドキュメンタリーに出てきそうな要素に対する解説はほぼない。漁船、という対象から想像するものとはかなり違った映像体験だと思う。
 フィクションにしろノンフィクションにしろ、映画における「目」は、大概の場合人間にとっての世界を見る「目」、人間が見るように見る「目」だと思う。そもそも映画は人間が撮るものだから、そうならざるを得ない。しかし本作はGR-PROという超小型カメラを使用、カメラを船からつりさげたり水中に突っ込んだり床に転がしたりすることで、撮影者がカメラをコントロールすることを放棄し、偶然性に任せた。撮影できた映像を編集する過程で撮影者の作意が反映されるが、個々の映像に関してはこう撮ろうとかこれを見せようといった作意が極薄い(ように見える)。何かがそこに「ある」という状態のみが、映像を見ている側にインパクトを与えるのだ。
 目の前で大量の魚が引き揚げられ、内臓を取られて水槽に投げ込まれて、といったなかなか見る機会がない映像を、それこそ魚目線で見る、不思議な体験だった。人間以外の目線で世界を見る、という要素が本作の最大の面白さだろう。人間である船員も登場するが、圧巻は、海鳥の群れと海面とをいったりきたりするショット。なぜだか見ていると解放感を感じるのだが、人間の目線の制約から逃れているからかもしれない。