バンドのボーカリストである母スザンナ(ジュリアン・ムーア)と、美術商の父ビール(スティーブ・クーガン)を持つ少女メイジー(オナタ・アプリール)。喧嘩が絶えなかった両親は離婚し、メイジーは10日ごとにそれぞれの家を行き来することになった。しかし両親共に忙しく、彼女と接するのは元々メイジーのベビーシッターでビールと再婚することになったマーゴ(ジョアンナ・バンダーハム)と、スザンナの恋人でバーテンダーのリンカーン(アレクサンダー・スカルスガルド)だった。原作はヘンリー・ジェイムズの小説。監督はスコット・マクギー&デビッド・シーゲル。
 原作がヘンリー・ジェイムズだということを知って驚いた。物語の内容は今日的だと思ったのだが、19世紀にも、別居している親の間で翻弄される子供、という子供像があったのか。もちろん映画は現代に合わせた内容になっているんだろうけど。映画邦題は『メイジーの瞳』で「メイジーの」という部分が強調されているが、原題は「メイジーが知ったこと」とでもいうようなもの。メイジーよりむしろ、彼女が見たこと、知ったことの方にスポットがあたっている。メイジー自身の言葉、彼女が何を思っているのかということはさほど明言されない。彼女の姿を通して4人の大人の姿が描かれ、また大人たちを通してメイジーが描かれるという、双方が反射しあうみたいな描き方だった。それぞれが呼応しており、特定の誰かを悪者にしているわけではないところがいい。
 スザンナもビールも、それぞれそれなりにメイジーを愛している。しかし、彼/彼女らの生活やパーソナリティは、「親」という仕事とは折り合いが付け難いのだ。また、スザンナもビールも、メイジーに対して自分の付属品のような感覚があるという面は否めないと思う。特にスザンナは、メイジーのことが大切であることはわかるのだが、彼女がリンカーンに懐くとリンカーンをなじったり、ビールの悪口を彼女が聞いている場で言ったりと、自分の一部として扱っており、彼女には彼女の世界や感じ方があるということに考えが至っていないようにも見える。対してマーゴとリンカーンはそもそもが他人なので、メイジーを独立した1人の子供として扱う。
 最後、スザンナとメイジーとのやりとりは、メイジーにはメイジーの生活があり、自分には自分の生活があるのだと悟ったように見えた。愛の有無とそれとはあんまり関係ないのだと思う。


メイジーの知ったこと
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