1998年のアメリカ。精神分析医の夫と暮らしているウォーリー(アビー・コーニッシュ)は裕福ながらも満たされない生活をしていた。ある日、エドワード8世(ジェームズ・ダルシー)とその妻ウォリス(アンドレア・ライズブロー)の遺品がオークションにかけられると知り興味を持つ。1930年代、アメリカ人の人妻だったウォリスはイギリス皇太子エドワードと恋仲になり、英国王室の一大スキャンダルとして騒がれたのだ。監督はマドンナ。
 前作『ワンダーラスト』が乙女心と少女漫画テイスト溢れる好作だったのだが、本作はより「映画!」な腰の据わった立ち居振舞。マドンナさん、映画監督としてもきっちり仕事できるんだなー、ビギナーズラックじゃなかったんだなーと感心した。撮りたい映画のビジョンがしっかりある人なんだろうなと。舞台背景の関係で、衣装やインテリアなども当然ゴージャス。非常に洗練されたコスチュームプレイとしても楽しめる。ウォリスが自分のことを、肉体的な魅力はないが着こなしが上手くて人目をひく、と評価しているのだが、その通りのルックだった。
 ウォーリーは周囲から「ラッキー」だと言われるし、私もそう思った。彼女には社会的な地位もお金も時間もある。が、ウォーリー自身はそう思えないでいる。幸せ・ラッキーの尺度は人それぞれで、比較はできない。不幸や悲しみも同様だ。ただ、世間はその比較の出来なさをあまり理解してはくれない。理解されないという部分で、ウォーリーはウォリスに共感し、彼女と自分を重ね合わせたのではないかと思った。
 ただ、全くの他人である実在の人物に、自分の人生を託す、投影するというのはどうなんだろうなーという疑問もついて回った。小説の登場人物とかなら行間を想像するのは自由だが、実在の人物には当然、その人の人生とその人にしかわからない諸々の事情があるわけで、そこを勝手に想像するのはおこがましいんじゃないかという気がする。ウォリスの幻影に「もう十分でしょ」と言わせたり、大ロマンスが大きな苦しみもはらんでることに言及するあたり、マドンナにもその自覚はあるのかもしれないが。
 出産に対する感情や書簡の保管者とウォーリーとの会話など、大分月並みだなと思った部分もあったし、あまり共感するところはないのだが、ビジュアルにふくよかさのある映画らしい映画だったと思う。