ムース(イザベル・カレー)とルイ(メルヴィル・プポー)は裕福なカップルだったが、2人とも薬物依存症。ある日2人で酩酊していたところ、ルイがドラッグの過剰摂取で死亡し、病院に運ばれ意識を取り戻したムースは、自分が妊娠していると知らされる。混乱したムースは田舎の別荘へ逃げ出すが、そこにルイの弟ポール(ルイ=ロナン・ショワジー)が訪ねてくる。監督はフランソワ・オゾン。
 三大映画祭週間2012にて鑑賞。本作はフランソワ・オゾン監督、2009年の作品。オゾンクラスの監督であってもここまで地味だと配給されないのか・・・。確かにどう売るか困りそうな作品ではある。監督のネームバリュー程度じゃムリなのね・・・。
 オゾンは作品ごとにがらっと作風変えてくる印象があるが、本作は非常に地味で静か。昨年日本でヒットした『幸せの雨傘』とは全く色合いが違う。『ぼくを葬る』あたりに近い抑えた作風だ。カメラは淡々とムースの行動を追っていくが、彼女が思いを吐露するシーンはごく少ない。底辺にはムースが抱える寂しさ、心もとなさみたいなものが流れているのだが、それがあまり情動的ではなく、体温が低い感じ。じっと寂しさに耐えていく感じがするのだ。
 ポールがムースの地元の友人セルジュとあっさり「知り合い」になっているのが、ちゃっかりしていておかしかった。それを知ったムースが少し憮然とする様に、ポールに対する微妙な感情がにじんでいる。ムースはポールを気に入っている風だが、彼と一緒にいても2人の間にはルイという2人がそれぞれ愛した存在(の不在)が横たわっており、よけいに寂しくなりそうだ。
 彼女の最後の行動は身勝手といえば身勝手。ただ、そうする気持ちはわかる。ポール(とルイ)の家庭背景についてはポールがしばしば口にするが、ムースが自分の家族について話すことはほとんどない。それも関係しているのかなと思った。
 なお、妊娠中に薬をガブ飲みしたり喫煙・飲酒したりと、大丈夫か?と思うような行為が結構出てくるのだが、薬については「禁断症状を和らげる為」とあっさり説明されていてちょっとカルチャーショックが。そういえばそういう設定だったな・・・。また、ムースに海辺で話しかけてくる女性が大変うっとおしいのだが、こういう人はどこの国にもいるのだろうか。