パリの三大ナイトショークラブの一つである、「クレイジーホース・パリ」にを70日間撮影した、フレデリック・ワイズマン監督によるドキュメンタリー。普段は入れない楽屋や運営会議、オーディションにまで密着している。ワイズマン監督作品の常で、ナレーションやテロップは一切入らない。しかしそれでも不便は感じないし、クラブ内の人それぞれの位置づけやキャラクターはそれなりに把握できる。
前衛的なヌードショーを売りとするクレイジーホースなので、当然ほぼ裸の女性がぞろぞろ出てくる。が、さほどエロティックとは思わなかったし(セクシーだけど)卑猥でもない。ショーの美術的な完成度が高いということもあるが、人間の肉体そのものの力に対して、この筋力すごい!バランスのとり方すごい!と感動した。ダンサーの技術力の高さが窺われる。ただ、オーディションの映像を見ると、一番重要なのは体の形で、顔や技能はその次。基本は「体を見せる」ことで、どんなにショーとして前衛的でもそこはブレない。芸術的でありながらナイトショーのヌードショーという立ち居地から動かない。感情や色気を交えないクールな撮影が、却ってショーの立ち位置を浮き彫りにしているように思った。過剰に「芸術」方向にも「セクシー」方向にも流れない、冷静な視線があると思う。
 経営者にしろ舞台監督にしろ、衣装担当にしろ、音響や照明担当にしろ、プロとしてのプライドと自分の主張をばんばんぶつけてくるので、会議がまとまる気配を見せないのも頷ける。舞台監督が「営業しながら新しいショー考えるのなんて無理だよー!休業しようよー!」と言い出したりする。それだけ皆この仕事を愛しているのだろう。若手の美術監督が、インタビュー(ワイズマンによるインタビューではなく雑誌かTVか何かのインタビュー)等でクレイジーホースへの思いいれを語りすぎ、上司である舞台監督や経営者が若干うんざり気味になっているのがおかしかった(言葉がちょっと空疎なので確かにうんざりするだろうなと思う)。
 ワイズマン監督作品を見るたびに、対象がカメラを意識していない風なので、こんなとこまで撮影していいのか!というところまで撮影していることに驚くのだが、本作も同様。撮られる側にとって決してプラスイメージになる映像だけとは限らないだけに。経営陣、製作陣の企画会議などあまりオープンにしたくない内容ではないかと思うのだが、どうやって了解とったのだろうか。撮影してから公開までにタイムラグがあるから、実際の影響は少ないのでOKということなのかもしれないが。