19世紀初頭のドイツ。ファウスト博士(ヨハネス・ツァイラー)は人間の魂のありかを探り、死体の解剖にまで励んでいた。しかし魂のありかたはわからず研究費もつき、ファウストは落胆する。そんな折、悪魔と噂される高利貸・ミュラー(アントン・アダシンスキー)の評判を聞き、資金借り入れの為、彼のもとを訪れる。ミュラーはファウストに、生きる意味を教えようと囁く。監督はアレクサンドル・ソクーロフ。
 悪魔と金銭が直結しているあたりが今日的といえば今日的だが、全体としてはむしろ民話とか神話のような、プリミティブな力を感じた。ゲーテの原作の雰囲気とは大分違い、ファウストもミュラー=メフィストも田舎のおじさん風。ファウストは挙動不審だしミュラーはこすい金貸しそのものだ。彼らだけでなく、ファウストの父親にしろ、村の人たちにしろ、動きはどたばたしており、活気にあふれており猥雑だ。ファウストとミュラーのやりとりなど時々コントのようにも見える。言葉だけではなく、むしろ身体的な接触が目立ち、ファウストと父親、あるいはミュラー、またファウストと彼が惚れるマルガレータも、近づきすぎなくらい近づく。冒頭で人体解剖シーンがあるが、人間の身体の存在感が強い。ファウストが求めるのが魂であるのとはうらはらだ。
 猥雑に感じられるもう一つの要因として、ソクーロフ監督の作品としては異例なくらい、音が多いという点がある。会話も多いが、酒場での騒乱など背景としての人の声が多いし、風や家のきしみなど、ノイズに溢れている。常に何かが動き回っているような、エネルギーの余波としてのノイズみたいなものがある。
 ファウストが求める「魂」は、精神的なものというよりも、本作においてはどうやらこういったエネルギー的なものではないかと思った。終盤、どんどん山に入っていくのも、原初に返っていくみたいだ。悪魔をたおすのが愛でも善でもなく非常に物理的かつ衝動的っぽいのも、生き物としての力なのかと。