次々に話題作を発表し、ノーベル文学賞候補との噂も出ていた作家・三島由紀夫(井浦新)。しかし彼の心は文学からは離れつつあった。民族派の学生たちを組織し、自衛隊での訓練を受け、有事の際は自衛隊と共に軍として決起しようとしていた。しかし学生運動激化の中でも治安は警察のみが行い、自衛隊の出る幕はなかった。徐々に苛立ちと焦りを募られせていく三島と若者達だったが。監督は若松孝二。
 三島由紀夫が盾の会を結成する頃から、自衛隊に乗り込み演説の後切腹自殺するまでを描く。三島を演じる井浦は、見た目が実際の三島に似ているというわけではない。しかし、三島から(筋肉とくどい顔の)外装を剥ぎ取るとこんな、線が細くてナイーブそうな感じかもしれないな、とは思った。井浦の熱演でそう思わされたと言った方がいいかもしれない。井浦をはじめ、出演している若手俳優たちが皆すごく力が入っていて、異様な熱気がある。
 決して編集や構成が巧みだという印象ではなく、見ていて体感時間がかなり長かった。三島という人を掘り下げていこうという意図も案外薄い。また、時代への切込み方は『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』には及ばない(これは『実録~』が異常なんだと思うが)。それでも映画として立ち上がってきているのは、俳優の力故なのだと思う。前作『キャタピラー』でも同じようなことを思ったので、若松監督の作法は、俳優の力をどれだけ引き出せるかに拠っているのだろうか。ただ、本作は『キャタピラー』に比べると意外なくらいあっさりとしていて、この分なら相当ハイペースで次作も製作できそうな雰囲気(笑)。気負った内容なのに気負いがあまり感じられないのが不思議だった。
 三島の自決は、なんとなくもっと前の時代の事件かと思っていたのだが、学生運動とほぼ同時期だった。三島は当時の若者の盛り上がりとは真逆の方向に向かっていた(それなりに支持層は厚かったみたいだが)わけで、『実録~』の裏側として本作は位置づけられているのだろう。しかし、三島がなんでああいった経緯を辿ったのかは、やはりぴんとこない。(本作の中の)三島は、時代の流れを大幅に読み違えた人のように見える。何より、彼が思う「軍」は、現代の軍ではないだろうし、当然自衛隊でもない。三島には職業としての軍人という発想がなかった(かないことにしていた)のだろう。(くどいようだが本作中の)三島は、軍としての組織が云々というより、ホモソーシャルな世界の中で理想に浸っていたかったようにも見えるのだ。クライマックスでの演説の聴衆への届かなさは、そこに起因するのではないかと思った。現実に彼が介入する余地はないのだ。