ジョン・カサヴェテスレトロスペクティブにて鑑賞。本作はカサヴェテス監督1978年の作品。ベテラン女優マートル・ゴードン(ジーナ・ローランズ)は新作に取り掛かっていたが、役作りに苦しんでいた。ファンの少女が交通事故死する様を目撃したマートルは情緒不安定になり、飲酒量が増え、少女の幻影を見るまでに。舞台監督のマニー・ヴクター(ベン・ギャザラ)はマートルに手を焼き、共演者のモーリス(ジョン・カサヴェテス)は彼女に愛想を尽かしたような態度をとる。
 マートルらが取り組んでいるのは『2番目の女』という舞台だが、この舞台上のドラマと、舞台の外(役柄としてではなくマートル、マニー、モーリス個人としての)のドラマが呼応していく。この人たちは過去にひと悶着あったんだろう、ヒロイン=マートルは老いて女性として注目されなくなっていくであろうことを恐れているのであろう、等、舞台上が舞台外を揶揄しているようにも見える。舞台に上がっても降りても人間関係がギスギスしていて緊張を強いられた。さらに映画を見ている観客にとっては、ローランズはカサヴェテスの妻であり、ギャザラはカサヴェテス作品の常連という知識があるから、さらにメタ視線で見ることになる。入れ子構造が面白いが若干くどい。
 マートルは自分が老け役を演じることに納得できない。年齢を越えた普遍的な女性の姿を演じたい、老け役で当てるとその後も老け役ばかりオファーがくるので避けたい、等々言うが、彼女は決して若くはない。自分の実年齢を頑なに言わないし、加齢していくことを受け入れられずにいるように見える。そんなにカッカしなくてもいいのにな~(職業柄「美しい女性」というポジションから降りられない辛さもあるのだろうが)。
 舞台上で女優が勝手にアドリブを始めて劇作家がおかんむりだったり、主演女優と相手役の仲が険悪だったり、客の反応にプロデューサーがキリキリしたりと、舞台経験者にとっては嫌な汗が出てくる展開なのではないだろうか。舞台上で演技の間が微妙な感じになった時の、演出なのかミスなのかわからないいたたまれなさが生々しい。