大手企業のぞみ地所の社員・小町圭(松山ケンイチ)と、小さな町工場コダマ鉄工所の跡取り・小玉健太(瑛太)は、鉄道好きがきっかけで知り合い意気投合。ほどなく九州へ転勤なった小町。九州支社は地元の大手企業ソニックフーズとの交渉を課題にしていたが、ベテラン営業マンが交渉しても反応は芳しくなかった。そこへ東京から、見合いを断られれて落ち込んでいた小玉が遊びに来る。監督は森田芳光。
 森田監督にとってはこれが遺作となる。監督の死は思いがけないことだったが、遺作が本作のような愉快かつ自由な作品であることが、ファンにとっては少し慰めになるのではないかと思う。私は今まで森田監督作品にはなんとなく苦手意識があったのだが、本作はとても楽しかった。と同時に、こんなに奇妙な映画を撮る人だったっけ?と驚いた。今の映画で、こんなセリフ回しさせる監督はいない(といったら言い過ぎかもしれないがとんと見たことない)んじゃないだろうか。また、背景で小芝居していたり妙な効果音が付いたり、とにかく、えっどうしたのこれは?!とあっけにとられた。しかし全編通して、よくわからない多幸感にあふれている。これは何なんだろう・・・と自問しながら見ていた。主演の松山ケンイチと瑛太がかわいい(笑)からというのは多々あるのだが、何より、登場人物たちが皆、自分の生活を楽しんでいるからかもしれない。
 小町も小玉も、大企業か町工場かという違いはあれど、それぞれ仕事は「出来る」人間だ。ただ、この人たちは仮に仕事がそれほどできる人間じゃなかったり、上手くいかなかったとしても、人生はつまらないとは思わないんじゃないだろうか。それは、小玉の父親にしても、小町と小玉が知り合う鉄道マニア(ピエール滝)も同じだ。彼らには仕事の他に趣味があり、楽しみ方はそれぞれ違うが堪能し、楽しさを分かち合っている。そして辛いときは趣味が支えになるのだ。落ち込んで電車を見に行く小玉の姿にはつい共感してしまったし、Nゲージを眺める姿には映画を見ているこちらも幸せな気分になる。
 また本作、「縁は異なもの味なもの」という言葉に終始貫かれている。ともすればご都合主義と言われかねないが、なぜかそういう感じがしない。だってどこで何があるかわからないじゃないか!いいんだよこれで!といわんばかりの妙なテンションの高さがあって妙に納得してしまった。
 趣味に熱中する青年2人の姿に対し、上司・親世代は、一昔前、高度経済成長期の「働く人」っぽく描かれているのが面白かった。今時あんな接待、地方とはいえあるのかなとちょっと思った。特にのぞみ地所の社長や取締役のやりとりは昭和の日本映画みたいだな~と(キャスティングもなかなか)。楽天的でどこか長閑だ。本作、小町が日本各地に転勤する『釣りバカ日誌』的なシリーズに出来るんじゃないかと思ったくらい。
 なお首都圏の鉄道の他、九州のローカル線が多々登場する。ロケーションすばらしい!これは乗ってみたくなる。電車をばんばん見せるエンドロールもよくわかっていらっしゃるという感じ。