姉クレア(シャルロット・ゲンズブール)の豪邸で結婚披露宴を執り行うジャスティン(キルスティン・ダンスト)。幸せな1日になるはずだったが、彼女の表情は段々曇り始め、奇行に走り始める。同じ頃、惑星メランコリアが地球に急接近し始め、衝突するのではと噂が流れていた。監督はラース・フォン・トリアー。
 冒頭のスローモーション映像が、絵画のような一枚絵の、正に世界の終わりだ!的美しさ。本編のクライマックスのダイジェストを冒頭にもってきたようなものなので、正直ここだけ見てしまえば十分な気も・・・ということはさすがにないが、ここを見逃すと本作見る意味がないくらいには力が入っていると思う。
 本作は前半「ジャスティン」、後半「クレア」の2章に分けられている。前半はジャスティンの披露宴だ。リムジンが山道のカーブを曲りきれないというユーモラスな(しかし焦る)シークエンスから始まる。しかし前述したように、ジャスティンの言動はどんどんおかしくなっていく。彼女がどうやら精神が不安定で鬱気質らしく、以前から本人も家族も苦しんでいたらしいことがわかってくる。彼女の事情を知らない来賓たちには非常識で迷惑な娘にしか見えないし、家族も徐々にうんざりしてくる。じゃあ披露宴とかやるなよ!と思わなくもないが、「結婚するな披露宴やらなくちゃ」みたいな妙な固定観念みたいのがジャスティンにはあるんじゃないかなーという気もする。本作、終わる世界の恐怖と恍惚を描いた終末映画としては、正直そんなにインパクト感じなかった。個人的には、終末映画なら先だって日本公開された『ニーチェの馬』の方が数倍ぐっとくる。
 ただ本作、監督の鬱病体験が反映されているだけあって、鬱病らしきヒロインと彼女を支えようとする姉の言動が妙に生々しい。前半のジャスティンの奇行はともかく、体が頭と乖離してくる感じ、後半での「玄関を出てタクシーに乗るという作業ができない」「風呂に入れない」「ものすごく寝る」姿、そして彼女を献身的に支えつつ「ものすごく憎らしくなる時がある」というクレアの心情、また義理の妹の為に披露宴の資金を出してあげたり、自宅に泊めたりとそれなりに努力はするものの最早うんざりとしているクレアの夫など、実際にこんな感じなんだろうな~と思わせるものがあった。
 ジャスティンにとっては、自分を取り巻く世界は普段から恐ろしいもの、自分を脅かすものだ。惑星の脅威など彼女にとっては今更なのだろう。ただ生きているだけで怖いんだからいっそ皆一緒に終わってしまった方がいい、ということかもしれない。脅威が迫るにつれ、それまでジャスティンをなだめる役目だったクレアが恐慌し、ジャスティンが逆に冷静になっていくところが面白い。