三池崇史監督初の3D映画だが、私は2Dで鑑賞。特に支障は感じなかった。ここは3Dにした時の見せ場なんだろうなというカットはいくつかあったが、かといってこれを3Dで見たいかというと・・・。昔の日本映画や、水墨画を思わせる、いわゆる「日本の美」的なビジュアル。海外から見た「日本の美」ぽいので、海外配給をかなり意識しているのではないかと思う。満島ひかりが蚊帳の中にいる様子など、幽霊画のようだった。満島は相変わらず薄幸な役ばかりやっているが大丈夫なのか。
 大名・井伊直孝の屋敷に、津雲半次郎(十一代目市川海老蔵)なる浪人が現れ、切腹のために玄関先を貸してほしいと申し出た。世間では、貧乏侍が大名屋敷で切腹させてほしいと頼み、迷惑がる屋敷の者から金品をせしめるという、狂言切腹が流行していた。津雲も同じ手合いと見た家老の斎藤勘解由(役所広司)は、かつてこの屋敷で狂言切腹を試み、本当に切腹する羽目になった若い浪人・千々岩求女(瑛太)の末路を話して追い払おうとする。
 求女は悲惨な最期を迎えるが、そもそも彼の計画はずさんだし甘いしで、かわいそうなのだが斎藤側にしてみれば自業自得。武士としての理論では斎藤側が正論なのだ。なんとかなると思っていた求女は、もう武士の枠からははみ出ていたのだろう。生活する分には、多分その方が彼にとって幸せだったろうし何ら不自由なかったはずだ。それが斎藤側によって、無理やり武士の枠内に戻される。
 斎藤の武士の理論と、武士の理論からはみ出した津雲の理論はどこまでいっても平行線で交わらない。津雲は斎藤側をおかしいと言うわけだが、自身も武士としての体面を捨てることができるわけではない(捨てることができたらあんなに困窮しなかったろうし)。だからクライマックスは、2つの概念が対立して~、というよりも、津雲が行き場のない怒りを暴発させるという意味合いが強かったように思った。人間、暴れる他にやりようがない時というのがあるんだよなと思わせられる。
スキャンダルでマイナスイメージが強かった海老蔵だが、歌舞伎役者としては流石に華があるし迫力があることがわかる。平常時の芝居は、声が篭りがちで若干大根ぽいが、いざキメ場となると非常に映えるし動きのキレもすごくいい。とことん、派手な舞台に強いタイプなんだろうと思う。対して瑛太は、安定して上手い。平常時芝居の発声は彼の方がクリアだし通るのでセリフは聞き取りやすい。切腹場面はもうほんとに痛そうで痛そうで・・・。