母親を亡くし、父、祖母と暮らす少年TJ(デヴィン・ブロシュー)。彼の前に正体不明の男ヘッシャー(ジョセフ・ゴードン・レヴィット)が現れ、家にいついてしまった。マイペースなヘッシャーの行動にTJは振り回される。監督はスペンサー・サッサー。
 四次元ポケットのないドラえもんというか、凶悪なオバケのQ太郎というか、とにかく異質な存在が居候しに来る話のバリエーションの一つだと思う。題名も原題は「HESSHER」だし。ヘッシャーはヘヴィメタル愛好家らしく、出で立ちも上半身裸に長髪に刺青とメタル野郎のお約束に準じている・・・のだが、演じてるのが小柄な優男のゴードン・レヴィットなので妙にちぐはぐでユーモラス。長髪似合わないし、刺青にいたってはサインペンで落書きしたようにしか見えない。メタラーとしても胡散臭いことこの上なしだ。これがもし、本気でがっつりメタルを聞き込んでいるような風貌の人だと、却って面白くない。ゴードン・レヴィットの起用は大正解だったと思う。行儀は悪いがおばあちゃんのことは尊重したり、意外と空気読むかわいさのあるキャラクターに仕上がっている。
 TJは母親を、彼の父は妻を事故で亡くした。2人とも愛する者の死から立ち直れずにいる。特に父親は重症で、薬の量は増え、仕事にも行かずソファから動こうとしない。TJの辛さや、2人を心配するTJの祖母の気持ちにまでは気が回らない。一方で、近親者を亡くした人の会に出席した後、「俺はあいつらみたいな負け犬じゃない」と嘯いたりもする。TJはTJで、母親との思い出がある車を取り戻そうと必死だ。父子は、同じ悲しみを抱えているが、全然かみ合っていない。そもそも2人で母親のことを話そうともしない。
 近しい人を亡くしたという設定が出てくる映画を見るとよく思うのだが、人によって悲しみ方の深さや早さ、表への出方は全然違う。悲しみをわけあう、というと聞こえはいいが、根本的には分かち合えないものだと思う(だから最後、棺と一緒に走り出す父子の姿によけいにぐっとくるのだ)。TJと父親は、それぞれの悲しみの中に閉じこもってしまう。それを無理やりこじ開け引っ掻き回すのがヘッシャーだ。ヘッシャーにあおられて、TJはようやく怒ることができるし、父親もつられて動き出す。ヘッシャーという、一種のファンタジーを介することで、家族の死を消化していく過程を鮮やかに描いていると思う。