ヘルツォーク傑作選2011にて鑑賞。ヴェルナー・ヘルツォーク監督1972年の作品。1560年末、黄金郷エル・ドラドを目指してアマゾン奥地を目指す、スペイン人探検隊隊長ピサロとその一行。途中で仲間の乗った筏が渦に呑み込まれてしまう。副官のアギーレ(クラウス・キンスキー)は本隊へ戻ろうと主張する分遣隊長を撃ち、更に奥地を目指す。
 アギーレは自分の上司も自分が所属する世界も憎み、自分が頂点となる新しい世界を作ろうとする。しかし彼の野望は途方もなさ過ぎて、現実味がない。部下達は原住民に次々に倒されていく。原住民たちの姿は殆ど見えないので、神を自称したアギーレに対する、見えない手による天罰のようにも見える。アギーレの、自分の所属する世界かズレてしまっている感は、同じくキンスキーが演じた『フィッツカラルド』の主人公フィッツカラルドと通ずるものがあるが、フィッツカラルドは根が陽性というか、途方もない野望はあるがそれは世界への呪詛から生まれたものではなく、自分がこれが好きだ!これがやりたい!という気持ちから生まれたものだ。一方、アギーレの野望は周囲を見返してやりたいという恨みから生まれたもので、どちらかというとマイナス思考から生まれた野望だ。なので、彼の中に積もり積もった怒りがじわじわ出てきて、見ているとなかなかに息苦しい。
 後半、登場人物が次々倒れていくが、やられ方があっさりしていてコントみたい。お約束の「後ろ後ろー!」的シチュエーションも当然ある。客席からも笑いが起こっていたし、確信犯なんだろうなとは思う。ヘルツォークは映画の中の人間を徹底してかっこよく撮らないというか、矮小化とはいわないまでも、たいそうなものとしては撮らない。たいそうなものなのは、常に山や密林やそこに住む原住民といった、自然(ないしはそれに近い)存在だ。ジャングルの中ではアギーレの怒りなど屁でもないのだ。
 ちなみに、後日『キンスキー、我が最愛の敵』を見て知ったのだが、本作、わざわざマチュピチュまで行って撮ったそうだ。マチュピチュの遺跡は出てこないので言われないとわからないのだが。よくやるよなぁ・・・。