ヘルツォーク傑作選2011にて。ヴェルナー・ヘルツォーク監督、2009年の作品。デヴィッド・リンチがプロデュースしている。実際に起きた実母殺人事件を題材に、さらにギリシア悲劇『オレステイア』を下敷きにしている。しかし舞台はアメリカ南部の、おそらくメキシコ国境にも近い地域。妙なミスマッチ感がある。
 ウィレム・デフォーが出演していることでも話題になっていたようだが、刑事役のデフォーはむしろ傍観者の立場でそんなに見せ場はない。存在感があるのはやはり、母親殺しの主人公となるマイケル・シャノンだ。一見わりと普通そうに見える風貌(デフォーは一見があまり普通じゃないと思う(笑))だし、当初はごく大人しい人物とされているのだが、だんだん狂気のようなものがにじみ出てくる。ちなみに婚約者(クロエ・セヴィニー)からは南米から帰ってきてからおかしくなったと言われるのだが、ヘルツォークの南米に対するイメージって、そんなに混沌としてエネルギッシュなのだろうか。
 しかし息子に輪をかけて、母親が怖い。そもそも母親がおかしいよ!と突っ込みたくなる。婚約者を交えての食事の席の、言動のちぐはぐ感とか息子に対する過剰な思い入れとか、もはやギャグの域だ。実際、「ジェリー」の登場では噴出している観客がいた。期待を裏切らないですねお母さん!こんな母親だったらそりゃあ殺したくなるわ・・・と納得させてしまう鬼気迫るものがあった。
 息子の「母親殺し」の妄想は具現化され、それで息子は解放されるはずなのだが、母親が最後に残したという言葉を聴くと、ちょっと違ったかなと思った。本作の母息子の場合、息子の妄想に最終的に母親が乗っかってしまっている期がするのだ。だとすると、母親殺しをしたけれども母親に背く・独立する行為としての母殺しは成立しない。いつまでも母親に捕らえられたままなのでは。