2003年のイラク。フセイン政権が崩壊して3週間がたっていた。12歳のクルド人少年アーメッド(ヤッセル・タリーブ)はアラビア語を殆ど喋れない祖母(シャーザード・フセイン)と共に、戦場で行方不明になった父親を探しに旅に出る。目的地はバグダッドから900キロ離れたナシリア。刑務所に父親がいるらしいと知らせが入ったのだった。監督はモハメド・アルダラジー。
 子供と老女のロードムービーというところでは『セントラル・ステーション』を思いおこすところがあった。前半では老人が子供をリードし、徐々に子供が老人をリードしていくようになるところとか。ただ、本作は実の祖母孫であること、何より背景に戦争の傷跡があることが大きく異なる。イラクでは度重なる戦争状態により、過去40年で約150万人の行方不明者が出ており、その大半は未だ見つかっていない、遺体が発見されても身元不明という状態だそうだ。アーメッドの父親もまた、徴兵され行方不明になっている。
 アーメッドと祖母が向かうのは刑務所、そして集団墓地なのだが、この集団墓地の様子には唖然とした。敷地に墓標が立てられているわけでもなく、誰がどこに埋まっているのかわからないのでシャベルカーで掘り起こしてしゃれこうべを探すのだ。個人の特定なんて到底できるとは思えない状況。また、フセイン政権崩壊直後くらいなのだが、バグダッド市内では明らかに埃ではない煙があちこちで上がっているし、当然アメリカ軍が駐在しており検問で道路封鎖されたりする。当時のイラクの空気感が何となく伝わってくる。
 アーメッドと祖母はクルド人だ。フセイン政権下ではクルド人の村の焼き討ち等もあったそうで、特に祖母はその記憶が強い様子。旅の途中で、2人は1人の男に助けられる。しかしその男は、過去に兵士としてクルド人を襲ったことがあった。強制されたこととは言え、祖母は男を責め、許さない。しかし男の方も、自分がした行為によって傷ついている。彼がアーメッド達の世話をなにかとやくのは、心配している以上に、その行為によって自分の過去の行為の償いがしたいからだろう。おそらく、当時(今もか)のイラクにはこういう人がたくさんいたのだと思う。この男とアーメッドの祖母の関係がどうなっていくのか、そこに監督の願いがこめられているように思った。許していくことは本当に難しいと思う。が、そこを通過しないと新たに踏み出していくことができないし、悲劇を予防することができない。
 ベルリン国際映画祭アムネスティ賞・平和賞を受賞したそうだが、それも納得。アーメッドたちを最初に車に乗せてくれる運転手や、タバコ売りの少年とバスの乗客たちなどに象徴されるように、人間の善意を信じる心が根っこにある作品だと思う。