クライヴ(エイドリアン・ブロディ)とエルサ(サラ・ポーリー)は遺伝子治療の為の研究をしている科学者カップル。動物の遺伝子組み換えによりクリーチャーのカップルを生み出すことに成功するが、更なる研究欲に駆られた2人は、法と倫理に反し、人間の遺伝子を使ってクリーチャーを生み出してしまう。ドレン(デルフィーヌ・シャネアック)と名付けられたクリーチャーは女性として成長するが、急速に進化し彼らの手にはあまるようになってくる。監督は『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリ。
 バルト9で見たのだが、バルト内にはいつからアニメ枠とB級ホラー(とかSFとかアクションとか)枠が常設されるようになったのか。ともあれ他館での上映があまりない作品をかけてくれるのはありがたいことではある。本作も良作秀作とは言いにくいが、妙な持ち味があってちょっと面白かった。クリーチャーものでもフランケンシュタイン的な方向にはいかず、かなり妙というか悪趣味というか、明後日の方向に走っていくところが面白いし唖然とした。
 最初、クライヴとエルサが何か新生児らしきものを保育器に移しているのだが、後にその「らしきもの」の姿が映り、「え?!これにかわいいとか言うの?!」と吹いた。よりによってこういうビジュアルにするなんて意地が悪いというか露悪的というかなんだ監督!一貫して、「クライヴとエルザにとってはかわいい」という設定前提で話が進むので、映画を見ている側とのギャップが怖くもありおかしくもある。実際結構コメディチックなのだ。しかし、時折ドレンのことを素でかわいいかもと思ってしまうところも。この「たまにかわいく見える」ラインを踏まえたビジュアルの作り方が上手い。成長したドレンはかなり成人女性に近く、妙な色っぽさもあるが、だからこそおぞましさもある。
 クリーチャーものでありつつ、母と娘ものであり、後半では父・母・娘の三角関係になってくる。エルサは出産は望んでいないが、ドレンをわが子のようにかわいがる。ただし、それはドレンが自分のコントロール下に置いておける存在であるうちだ。エルサが無意識のうちに、自分が母親からされていたのと同じようなことを(おそらく絶対するまいと思っているはずなのに)やってしまうところが悲しい。対してクライヴは当初ドレンを「処分」しようと主張していたが、彼女が知性を発揮しコミュニケーションできるようになると愛着がわいてくる。そして、彼女の生めかしさに理性をグラつかせたりと、節操がない。親のエゴとか男女のドロドロとか、「科学者がクリーチャーを作る」という話からはあんまり予想しないであろう要素がぶん投げられてくるので、かなり戸惑う。
 クライヴとエルサの服装が、そこはかとなくギーグなセンス、聞いている曲もそりゃあヘビメタかテクノだろう。オタクってどこの国でも何となく似た好みになってくるのだろうか・・・。なお、エイドリアン・ブロディのフィルモグラフィーがだんだんニコラス・ケイジ化してきているのは気のせいか。ブレイクしたのは文芸作品で演技力の評価も得ているのに、近年の出演作は怪獣映画とかB級SFとか。多分本人がこのジャンル好きなんだろうなーとは思うが、いいのか?!と問いただしたくはある(笑)