1963年のイスラエルを舞台とした作品。少年アハロンは絵画や文学に興味を持つが、両親は理解を示さない。周囲の友人達はどんどん成長していき、アハロンは距離を感じるようになる。
アハロンは英語の文法に「今~している」という現在進行形があることに感動し、「今」を充分に楽しみたいと願う。ただ、彼が置かれている環境は、彼に早く大人になることを要求しており、子供としての「今」は取り上げられそうになる。それに対する反抗として、彼は無意識に(体が大きくならないのを気に病んでいたりする)肉体的に成長するのをやめてしまう。彼は成長していないのではなく、両親・社会が要求する成長の筋道に彼の成長の仕方が合っていないのだ。アハロンがこの家庭ではなく、あるいはこの時代以外、この国以外に生まれていたら、もっと楽に生きられたかもしれないし、すんなりと大人になれたかもしれない。彼の両親・社会は、息子に(肉体的に)強い男であること、異性のパートナーを早く得ることを要求する。こういう要求に上手く乗っかれる子はいいのだが、そうじゃない子にはキツい。アハロンがなりたい(なるであろう)大人は、親の要求するものとは多分違う。子供は環境選べないんだよなーとしみじみ。
 アハロンの母親は、親戚や近所に対する体面から苛立ち、「なんで大きくならないの」と彼を責めてしまう。彼女は息子を愛してはいるが、息子の世界を共有することができない。彼の理解者となりそうな存在として、近所に住む、音楽や絵画を愛する女性がいる。アハロンはこっそり彼女の部屋に忍び込んで本を読んだり音楽を聴いたりする。しかし、彼女との交流の可能性は、アハロンの父親によってつぶされてしまう。また、アハロンが想いを寄せる少女も、彼の絵を気に入ったりバレエが好きだったり、ビートルズ(当時のイスラエルでは敵国音楽的な見られ方だったようだが)に憧れたりと、彼と世界を共有できそうではあるのだが、彼女の方が外の世界に目が向いており、アハロンとその周囲の世界からは出て行ってしまう。身近に理解者やモデルとなる大人がいれば、アハロンの生活はまた違ったものになったのではないかと思うとやるせない。
 当時のイスラエルの一般家庭の様子が垣間見えるという点では、貴重な作品かもしれない。つかの間の平和な時期だったようで、建国記念日のお祭り等も華やか。一方で、徐々に経済状況が悪化し、青年団やガールスカウトが農作業に借り出されたり、アハロンの姉が徴兵されたりという、不安の兆しも見られる。