築地の魚河岸で働くリュウ(菊地凛子)は、殺し屋というもう一つの顔を持っている。ある日、石田(榊英雄)という男が、スペイン人男性ダビ(セルジ・ロペス)の殺害を依頼してきた。リュウはダビが働くワインショップを訪れ、食事、セックスをする仲になるが、彼に本気で惹かれ殺すことが出来ない。監督はイザベル・コイシェ。
 リュウの友人である音響技師(田中泯)がナレーターとなっているのだが、カメラ自体は音響技師の目というわけではなく、彼が知りえなかったはずのことも映す。音響技師はリュウのことは殆ど知らない、と最初に言っているのだが、そのナレーションは彼女をよく知っていると思われるもの。だったら「天の声」的なナレーションにしてしまえばよかったように思うが。そのちぐはぐさが気になった。コイシェ監督は映画の構造をわりときっちり作ってくる(どの視点なのかブレない)タイプのような気がしていたので、本作のようなユルい・・・じゃなくて雰囲気重視な作品を撮ったのは意外だった。
 冒頭、いきなり女体盛が登場したり、もろに昔の任侠映画を彷彿とさせるショットがあったりと、これは例によって外国人監督による「フシギの国、ニッポン」ものなのかと思ったら、見ているうちに段々違和感を感じなくなってきた。すごく違和感を感じる人もいるだろうとは思うが、私にとってはそういえば東京はこんな感じでもあるな、と腑に落ちたからだと思う。日本人キャストが普通に日本語しゃべっているからかもしれないが。町の風景や風俗はそんなに妙には思わなかったけど、リュウの最寄駅前の広場で行われていたワークショップみたいなものは、そこだけ黒沢清の映画みたいで時空がひずむかと思った。
 コイシェ監督は、人の心の動きは描くが、なぜそうなったのか、というところに関してはあまり言及しないように思う。本作でもリュウがなぜダビに惹かれたのかは全く言及されていない。ダビがリュウに惹かれたのは、自殺した恋人の補完(恋人は菊地の二役)と思えるのだが。2人がなぜ恋に落ちたか、ではなく、2人の間に流れる、東京の町や音を含めての何がしか、の方が監督にとっては大事なのだろう。とりとめもない、監督の作品にしては割と軽い作だが、娘に自殺されて娘の恋人であったダビを恨む長良(中原丈雄)とその部下である石田の苦しみは、これまでの監督の作品を思わせるものだった。