刑事裁判所を退職したベンハミン(リカルド・ダリン)は、ずっと心にひっかかっていた過去の事件を小説にしようと決意し、かつての上司で現在は判事補のイレーネ(ソレダ・ビジャミル)を訪ねる。その事件は1974年、ベンハミンとイレーネが担当していた、銀行員の若い妻が殺された事件だった。監督はファン・ホセ・カンパネラ。本作は第82回アカデミー賞外国語映画賞を受賞している。
 殺人事件の捜査が行われていた過去が半ばベンハミンの小説として語られ、同時に現代の退職したベンハミンが再度事件と向き合うという、過去と現在が交互に描かれる構成。具体的な説明があまりないのに過去と現在のどちらなのかすぐにわかり混乱しないのは、語り口が上手いからだろう。構成が整理されているという印象はあまりなかったのだが、細かいところの演出が上手いと思う。その場のシチュエーション、気分がなんとなくわかる感じというか、言葉以外の部分が饒舌。ドアを閉めておく/空けておくというやりとりでベンハミンとイレーネの関係を描くところなど印象に残った。ミステリとしては意外にふわーっとしている(笑)ので、精緻な本格ミステリ的展開を期待すると拍子抜けするかもしれないが、犯人に限らずなぜそうしたのか、という人の心に主に焦点が当っている。
 主人公は一応ベンハミンではあるが、裏の主人公とでもいうべきなのが妻を殺された銀行員だ。2人とも、1人の女性を思い続ける、「忘れない」男性なのだ。「忘れない」ことを彼らがどのように行動に移した/移さなかったかというところがお互いを映す鏡のようでもあった。彼らの忘れなさは少々奇異(いわゆるリアリスティックなものかというとそうでもないと思う)でもあるのだが、思いの深さには打たれる。思いが深いというところでは、この2人だけでなく、ベンハミンの相棒の刑事や、上司であったイレーネも同様だ。感情の陰影が濃い作品だった。
 事件の捜査には、そんなアホなと思うような展開もあるのだが、当時のアルゼンチンは軍の独裁政権下にあったそうで、当時を知るアルゼンチン人にとっては、決して非現実的な展開ではないらしい。どれだけ何でもありなんだ軍事政権!また、裁判所に刑事が勤めているというシステムにはなじみがないので、ベンハミンがどういうポジションの人なのか最初ぴんとこなかった。日本だと、裁判所に勤めているというと大卒で結構頭良くて、というイメージだが、ベンハミンは高卒で、大卒のイレーネとの身分差を揶揄されるシーンがあった。