ケンタ(松田翔太)とジュン(高良健吾)は施設で育った幼馴染で、今は建物解体の工事現場で働いている。仕事はきつく低賃金で、先輩の裕也(新井浩文)は陰湿ないじめをしてくる。ある日2人はカヨ(安藤サクラ)をナンパし、ジュンはカヨの部屋へ居候するようになった。一方ケンタは職場に耐え切れなくなりある行動に出る。
 監督は『ゲルマニウムの夜』の大森立嗣。表現したいこと、主張したいことはわかるのだが、主張したいことが先に立ってしまって「映画」としての側面が弱くなっているように思った。監督の一生懸命さはわかるのだが、気が急いているのか、言いたいことを全部セリフにしてしまっているように思った。また、田部美華子演じた女の子が、ある類型として作りたかったのはわかるが類型としてもあまりに時代遅れだったりと、もうちょっと粘ればもっとよくなったのになぁという部分が多く、もどかしい。貧しさを描いても、映画が貧しくなってしまってはいけないだろう。
 絵の力もいまひとつ印象に残らなかった。役者の魅力に頼るところがかなり大きく、顔のアップが多いのだが、これは(私個人の好みとしては)よっぽど上手い役者じゃないと退屈な絵になりがちだと思う。松田も高良もいい若手だと思うが、映画の魅力を全部背負わせるのはまだ荷が重いのではないだろうか。また、安藤サクラは女優としては出オチぎりぎりのパワーがあると思うが、本作での露出時間は実はそれほど長くない。
 見ていてとても息苦しい作品だったのだが、それが監督の意図した息苦しさであるのか(現状に息苦しさを感じている若者達の話なので)、それとも映画として窮屈だから感じる息苦しさなのか、よくわからなかった。ケンタはここから抜け出してどこかへ行きたいと切望し、しかし「どこか」などどこにもないと突きつけられるのだが、せっかく映画という形をとっているのだから、もっと絵の部分でその過程を見たかった。
 ロードムービーではあるが、「どこか」へ辿り着けるという気がしない。一応網走を目指しているのだが、そもそもケンタもジュンも網走がどこなのかいまいちわかってないし、行ってどうなるというものでもない。ただ、カヨが出ているシーンはいきいきとして、ロードムービーとしての色合いが濃くなる。カヨがいなくなりケンタとジュンの2人になると、とたんに道行の色合いが濃くなる。カヨはケンタやジュンよりも今を生きることに積極的なのだ。