この邦題、日本語としてしっくりこないものがあるのは私だけか・・・。夫との間に2人の子供をもうけ、幸せにくらしているアン(サンドラ・ブロック)。ある日、真冬にも関わらずTシャツ1枚で歩いている黒人少年マイケルを見かける。少年を放って置けなくなったアンは自宅に泊め、食事や衣服を与える。徐々に家族のようになっていくマイケルは、アメリカンフットボール選手としての才能を発揮し始める。
 監督はジョン・リー・ハンコック。アメフトが物語のキーとなっているので、ルールやポジション名を知らない人(私も)は、冒頭のアンのモノローグを必死で頭に叩き込む必要があるだろう。ここを踏まえていないと後々意味がわかりにくい部分が出てくるので注意(逆に、アメフトを多少知っている人は、モノローグを多少聞き損ねても問題ないと思われます)。
 実話が元になっているのでストーリーの大きな改変は出来なかったのだろうが、いまどき「貧しい黒人を助けて庇護者となる裕福な白人」という設定が、ハリウッド映画として受け入れられているというのが、釈然としないというか何と言うか・・・。地域差(本作の舞台は南部)もあるだろうし、実際に平均的な収入格差等はあるとは思うのだが、南部富裕層白人の願望か?と妙な読み方をしそうになってしまう。日本人だから却ってうがった見方をしてしまうのであって、アメリカ人にとっては純粋に「困っている人を助ける」というキリスト教精神に則ったお話という側面の方が強いのかもしれないが。
 語り口によっては鼻持ちならない(これは双方白人・双方黒人の設定でもそうだったと思うが)話になりそうだったところをぎりぎり「良い話」に留めているのは、サンドラ・ブロックのキャラクターだ。これは登場人物のキャラクター造形というより、ブロック本人のアネゴ肌キャラによるところが大きいのだろう。同じ言動を他の女優がやったら、どこかしら偽善的だったりイヤミに見えそうだ。しかしブロックが演じると、この人は相手がどんな層の人であれ、本質を見抜けるし困っている人には手を差し伸べるんじゃないかなと思える。正に人徳。彼女は本作でアカデミー賞主演女優賞を受賞しているが、人柄で受賞したんじゃないかと気もしなくもない(笑)。
 アンがやることは、マイケルと、彼がこれまで生きてきた世界とのつながりを全く絶ってしまうことなので、あまりに独善的とも言える。しかし、彼女がマイケルが育ってきた過程の予想外の過酷さに密かに動揺する姿とか、マイケルの実母に対するビジネスライクにすればいいのか共感を示していいのか迷うような態度など、彼女も自分の行為に全く迷いがないわけではない、という部分を見せることで、映画のバランスが取れて単純に「良い話」一辺倒になるのを防いでいると思う。あと、何よりアン夫妻の小学生の息子のキャラクターがいい!こまっしゃくれていて生意気で、実に生き生きとしている。演じた子役がまたえらく上手かった。彼とブロックの存在で映画として引き立っているように思う。
 なお、アメリカの大学の、運動部のスカウトのシステムとか、大学運動部の活動に対する調査機関があるとか、アメリカの学生スポーツ界を垣間見る部分もあってちょっと面白かった。アメリカってやっぱりスポーツ大国なのね。