14歳の少女スージー・サーモン(シアーシャ・ローナン)は、近所に住む男に殺されてしまう。警察の捜査は進まず、残された家族にはスージーの生死もわからない。現世と天国の境に留まったスージーは家族を見守るが、両親の仲はぎくしゃくしていった。原作はアリス・シーボルトの同名小説。監督は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのピーター・ジャクソン。
 主演のローナンは『つぐない』で「美少女」と呼ぶには若干躊躇する、妙な魅力を発揮していたが、本作では正統派なかわいらしさを見せている。演技も達者でやたらと安定感がある。さすが13歳でアカデミー助演女優賞にノミネートされただけのことはある。また、スージーの父親役が『サンキュー・スモーキング』『ダークナイト』のマーク・ウォールバーグ、母親役が『ナイロビの蜂』『コンフィデンス』のレイチェル・ワイズ、祖母役がなんとスーザン・サランドンという豪華かつ安定感が非常に高い面子。全員好きな役者なのでこれはうれしかった。特にサランドン演じる祖母は、いわゆる模範的な「おばあちゃん」ではなく、むしろ母親としては問題の多い人だったんだろうという部分が垣間見えるのだが、そこがまた面白かった。
 さて、主人公は殺された女の子で犯人は野放しで、となると、これは犯人探し(探偵=被害者バージョン)ないしは復讐ものとなるのか?と思いきや、そういう方向には行かない。本作では、基本的に死者は生者に対して何も出来ない。スージーは家族や犯人をただ見ているだけだ。父親や弟がかすかに彼女の存在を感じることはあるが、コミュニケーションがとれるわけではない。また、終盤に一つだけ例外があるが、それも現実に対して具体的な影響を及ぼすものではない。
 つまり、幽霊となったスージーの存在、彼女があの世で体験していることは、両親ら遺族の想像の中のことだと考えてもいい。本作はむしろ、スージーを失った人たちがどうやって立ち直っていくかがポイントになっているのだろう。そう考えると、なぜこういうラストになったのかも合点がいく。いわゆるお話の「お約束」を逸脱しているので、不満に思う人もいるかもしれないし、正直私もちょっとすっきりしないところはあるのだが(それが出来るなら再犯防げよ!と突っ込みたくなるし、ジャンル違いとわかっていてもやっぱり大復讐劇を期待しちゃうんですよね・・・)。
 ピーター・ジャクソン監督作品ということで、死後の世界をどんな映像で表現するのか楽しみだったのだが、ちょっと拍子抜け。労力がかかっているのはわかるが(エンドロールの長さがはんぱない。『アバター』より長いんじゃなかろうか)、割と凡庸。そんなに心ひかれるものもなかった。むしろ、俳優の演技の方がしっかりとしていて、映画を支えている思う。