「ワイズマンを見る/アメリカを観る」特集上映にて。2001年の作品。アメリカ、フロリダ州最大のDV被害者保護施設「スプリング」に入居する人々にカメラを向けたドキュメンタリー作品。スプリングは年間1650人(2001年当時)ものDV被害者と子供を受け入れている。被害者は女性とは限らず、男性が保護を求めるケースもあるそうだ(本作内では男性の入居者は出てこないが)。
 DVというと、「夫が妻を殴る」というイメージがまず浮かぶだろう。本作でも、冒頭に映されるのはまさにその典型のようなカップル。現場にかけつけた警察官の対応が非常に落ち着いていて、こういったケースが珍しくない様子が窺えて却って怖かった。しかしスプリングに来る女性たちの話からは、肉体的な暴力だけでなく、言葉による暴力、経済的な制約も多いことがわかってくる。加害者はパートナーとは限らず、兄弟や親戚、子供の場合も少なくない。ひとくくりにDVといっても、多種多様だ。
 DVを受けていた人の言葉に共通して窺えるのは、自分が置かれていた環境、つまり(肉体面・精神面での)暴力をやパートナーからの過剰な束縛を辛いとは思っても不自然だとは思っていなかったということだ。相手の力の及ばないところで生活して始めて、自分がパートナーに隷属しているわけではない、独立した人間だということに気付けるのだ。相手の磁場内にいるとコントロールされてしまう感じなのか。
 加害者側が、暴力をふるった後やさしくなる、自分が理性的に見える方向へ会話を誘導等、被害者側が加害者側を見限りにくい、反論しにくいような関係にあるというのも共通していた。DV被害者が加害者からなかなか逃げ出さない(高齢になるまでDVを受け続けているケースも)し妙に相手をかばうようなことを言うのが最初もどかしく思えるのだが、なぜ逃げ出さないのかが徐々に見えてくる。また、お金や物品の管理を一切加害者側が行っており、経済的・物理的にも逃げ出せない(日常の買い物すら勝手に出来ないし車を使うこともできない)というケースも少なくない。もちろん子供の有無も大きいだろう。そして最も大きな要因としては、独立した人間となることは支配されていることよりも怖い(経済的な面も含め)という感情がある。
 DVの根底にあるのがセックスの問題ではなく、支配/被支配という力関係の問題であるという言葉に納得した。最後に映し出されるあるカップルと警官のかみあわないやりとりも、DVの一環になりうることがわかるのだ。もちろんワイズマンは観客がこの言葉に納得できるように綿密に編集しているのだろうが、核心をついていると思う。