小さな村の医者・伊野(笑福亭鶴瓶)が失踪した。無医村だったこの村に駐在し、村人や研修医の相馬(瑛太)、看護師の朱美(余貴美子)からも深い信頼を寄せられていた彼は、なぜ姿を消したのか。実は本作、予告編でほぼネタバレしている。しかしそれによって実際に映画を見た際の面白さが減るかといえば、全くそんなことはない。『ゆれる』の西川美和監督の新作となる。
 『ゆれる』を見たときも思ったのだが、見る側に強い緊張を強いてくる。前作では兄弟の間の抜き差しならない関係が中心にあったから自然とそうなったのかと思っていたが、元々の作風なのかもしれない。人間関係や個人の心の臨界点きわきわの部分を捉えるのがすごく上手いのだと思う。誰もがちょっとずつ嘘をつき、何かを演じている、それが露呈しそうになる瞬間の危うさが、本作では延々と続くので息が詰まりそうになる。また、絵的に隙が少なく、構成もともすると説明的であるくらいきっちり目(時間軸が頻繁に入れ替わるのにかっちりした印象)なのも、密度の高さにつながっていると思う。
 ある嘘を抱える伊野、娘に秘密を持つかづ子(八千草薫)など主要な登場人物はもちろんなのだが、脇役の人の心の動きのちょっとした部分、しかも人に見せないようにしている部分をえぐってくる(しかもわずかな時間で)。ご臨終かと思われたおじいさん復活のエピソードで、その家の息子たち、特に介護していると思しきお嫁さんの心情描写(手の動きだけで心情がわかる)は率直すぎて唸った。真相が明らかになった時の手のひらの返しようもまた、あまりに正直というか実も蓋もない。また、かづ子の三女(井川遥)の、仕事では成功していると言っていいのに、実家に帰ってくるとかもし出される煮詰まった感じ(美人でキャリアもあるけど独身、というのはこういう田舎だと却って肩身狭いと思う。姉2人は結婚して子供もいるだけに)とか、いちいち生々しい。対して、外部からの「目」である相馬や刑事たちの描き方は通り一遍なものなので、引き算できる部分は極端に引き算できる監督なのだと思う。
 過疎地の医療問題に触れる作品ではあるが、そこは本題ではないだろうし、また決して「過疎の村で医者も足りないけど人々は素朴で~」という話に落とさないのが監督の誠実さなのだと思う。焦点があてられるのは、あくまで人の心の底知れなさだ。コミュニティが小さければ小さいほど、なまじお互いをよく見知っているだけに、人の得体の知れなさが際立ってくるのかもしれない。ただ、人の心など何も分からない、とするわけではないところにほのかな温かみがあったと思う。
 鶴瓶はある種の得体の知れなさがある人だと思うので、本作に起用したのは正解だろう。演技が上手いというのとはちょっと違うような気もしたが、魅力がある。キャスティングはとてもよかった。なお、ちょい役で中村勘三郎が出ているが、ちょろっと出てその場の空気全部を持っていくあたりは流石というか最早卑怯。