大学院で遺伝子の研究をしている泉水(加瀬亮)と、絵の才能がありハンサムでモテる春(岡田将生)は仲のいい兄弟。母(鈴木京香)は既に亡くなっており、養蜂を始めた父(小日向文世)との3人家族だ。彼らが住む町では連続放火事件が起きていた。春は、自分がアルバイトで清掃していたグラフィティアートと放火現場とに奇妙な共通点があると泉水に訴える。原作は伊坂幸太郎、監督は『Laundry』の森淳一。伊坂作品は次々と映画化されているが、今のところ映画の完成度としては本作がベストではないかと思う。
 原作小説は伊坂作品の中でも好きな方なのだが、倫理的にどうなの?とひっかかる部分もある。ある人物の行動をそこまで全面的に肯定してしまっていいのだろうかと、素直にこの物語を飲み込めなくなったのだ(伊坂作品を読んでいると常に気になるのだが、善とされているものへの肯定が強すぎるように思う)。ある人物の行動への肯定に対する裏づけはずばり愛なのだろうが、愛は主観的で頼りない。
 で、このひっかかりの部分に観客がひっかかってしまうと、この作品の印象はかなり微妙なものになるだろう。さわやかな面持ちで実は陰惨ともなりかねない。本作はそのひっかかりを観客に感じさせないよう、上手くスルーさせていると思う。脚本や演出の力も大きいが、キャスティングの時点で勝ちという感じがした。
 なにしろ泉水と春の兄弟が目に優しい(笑)。加瀬は主張が強すぎず相変わらず安定感がある。春役の岡田は、演技の上手い下手はともかく、非常にハマっていた。春のキャスティングで作品の雰囲気が大きく左右される(演じ方によっては単なる危ない人だよ・・・)と予想していたので少々心配だったのだが、杞憂だった。あと、父親役の小日向が、まあいつもの小日向ではあるのだが、この父親にはこの演技がベストだと納得させる存在感があり、予想以上によかった。泉水と春の父親は、ある大きな決断をするのだが、この父親ならこういう決断をするだろうと納得させるものがある。あと、吉高由里子が出番は少ないものの怪演を見せている。挙動不審な動作がこれだけはまる美人はそうそういないのではないか。加えて、泉水と春の子供時代を演じた2人の子供が正に!という感じで、よく見つけてきたなと感心した。
 音楽は渡辺善太郎。これがまた涙腺を刺激するらしく、観客(主に若い女性)が次々に鼻をすすっていた。ただ、音楽をフェイドアウトさせるタイミングがどれも悪く、ぶつ切り感があるのが気になった。もうちょっと上手く編集できなかったのか。