印鑑職人のジン(オダギリジョー)は、別れた恋人を車で追って交通事故を起こす夢を見た。夢の生々しさが気になったジンは、夢に出てきた交通事故の現場に行ってみるが、実際に交通事故が起こっており、事故を起こした車を運転していたラン(イ・ナヨン)が警察に連れて行かれた。ランは夢遊病状態で運転していたらしく、事故のことはまったく覚えていない。ジンは自分が夢を見たせいで彼女が事故を起こしたと考える。
 最近のキム・ギドク監督の作品は、(『弓』あたりが契機だったと思うのだが)ずいぶん色彩に重きを置くようになったと思う。本作でも青を基調とした映像が美しい(さし色で赤を使っているのが印象に残った)。ロケ地も浮世離れしていてよかった。昔の家並みが残っている、おそらく美観地区的な扱いをされている場所だと思うのだが、美しい。ちょっと昔のトレンディドラマ的な出来過ぎ感はあるのだが、監督はおそらく、いわゆるリアルなセット作りにはあまり関心がないのだろう。このへんに関しては、作り物で結構、むしろ作り物OK!と思っているのでは。
 さらに、ギドク作品はここ2、3作でどんどん抽象化してきているように思う。セットに生っぽさを求めない(美的な効果としてのセットとして捕らえる)のもそうなのだが、登場人物の造形や配置に対して、それを強く感じた。ジンやランがどういうパーソナリティの人で、何をして生活しているのかということはわりとどうでもいいのではないかと思う。関心があるのはジンとランの立ち居地であり、相互にどういう力が働くかということではないか。「~という人」ではなく「~というポジションにいる人」なのだ。ジンとランが他の人物であっても、「片方が見た夢をもう片方が実行する」という関係性があれば置き換え可能とも言える。だからなのか、見ているうちに、誰が誰の夢を見ているのかわからなくなってくる。ジンの夢の中に自分の元恋人とランの元恋人が出てくるのではなく、ジンの元恋人かランの元恋人が、ジンとランの夢を見ているのではとも思えるのだ。
 ドラマというより、ある種の数式、図表を見ているような印象だった。登場人物の配置が対称的(いや反対称的か?)だ。ジンとランは衣装も黒に対する白、眠りを間においた対称的な存在(対称的というより対応し合う存在といったほうがいいのかもしれないが)だが、ジン対ランだけでなく、ジンとランという男女に対して、ジンの元恋人とランの元恋人という男女が呼応している。ジンの夢の中に出てくる元恋人は、ランの元恋人と付き合っているのだ。ジンの夢の中で、ジンの元恋人とランの元恋人が争う側にジンとランが佇むシーンは象徴的だ。2者間で呼応する関係が、組み合わせを変えて現れるのだ。ジンはランと対でもあり、ランの元恋人と対でもある。ジンが最後に選ぶ道は、そう考えると当然である。