1988年のニューヨーク。ナイトクラブのマネージャー・ボビー(ホアキン・フェニクス)は、警察官である父バード(ロバート・デュヴァル)と兄ジョセフ(マーク・ウォールバーグ)に麻薬捜査への協力を求められる。家族同然であるクラブのオーナーへの気兼ねから、一度は断るボビーだったが。
 特にどこがすごく優れているというわけではない、非常に平凡といえば平凡な作風なのだが、とてもいい映画だった。ここまでひねりがない作りの映画というのは、最近では珍しいのではないだろうか。80年代が舞台なのに、まるで60年代あたりを舞台としているような面持ち。ロケ地も、あえて古い町並みが残っている場所を使っているのか、昔のギャング映画のような雰囲気がある。流れてくる音楽以外に、80年代的な要素がないのだ。あえて時代を感じさせる要素を除いたように思える。監督・脚本は『リトル・オデッサ』のジェームズ・グレイ。
 ボビーはあるファミリーから、別のファミリーへと移行し、また最初のファミリーへと戻ってくる。血縁的には最終的に戻ってきたファミリーが正しいわけだが、それは果たして彼にとって幸せなこと、彼が本当に望んだことだったのか。ボビーが自分の思いとは関係なく、抗いがたい流れによって選択せざるをえなくなる。その為、友人も恋人も失ってしまう。結局は血のつながりから逃れられない、血のつながりによって余計なプレッシャーが(ボビーに限らず)のしかかってくるというところが、一層重苦しさを増す。最後、ジョセフがボビーにある言葉を投げかける。普通だったら感動的なシーンかもしれないが、私はとても恐ろしかった。この言葉によって、ボビーはまたがんじがらめにされてしまうのではないか。さらに言うなら、ジョセフは父親がいなくなり、「息子」として弟と競争する必要がなくなったからこそ、ようやくこの言葉を口に出来るようになったのではないかとも思うのだ。血の重みは彼にもまたのしかかっていた。呪いのように彼らにおしかかるしがらみが、作品全体に満ちた息苦しさとなっている。
 ホアキン・フェニックスがこれまた重苦しくていい演技を見せている。彼は俳優業はもうやめると公言したが、惜しい。しかしこれだけ密度の濃い演技をしてしまったらそれも無理ないかとも思える。後半、警察の捜査に巻き込まれるにつれて、表情がだんだんと疲れた胡乱なものになっていく。その説得力たるや、見ていてげんなりとするくらいだ。また、ボビーの恋人役のエヴァ・メンデスが予想外によかった。ちょっと崩れた感じがするところが、後半の展開に効いてくる。残念なのは邦題のセンスのなさ。内容と微妙にずれている。