小さな町で兄夫婦の家の離れに暮らす青年・ラース(ライアン・コズリング)。優しいがシャイで人付き合いが苦手なラースを、義姉のカリン(エミリー・モーティマー)はいつも心配していた。そんなある日、ラースが「紹介したい女性がいる」と言い出した。大喜びした兄夫婦の前に現れたのは、等身大のリアルドール。唖然とする2人にラースは「彼女はビアンカ。ブラジルから来た宣教師なんだ」と「彼女」を紹介する。監督はクレイグ・ギレスピー。
 人形を人間として扱うラースの行動は、変人を通り越して、兄が言うように「病気だ!」と言われてもおかしくない。そんなラースに兄夫婦と町の人々はどのように接していくのか?というのが本作の見所であり、感動させられるところだ。彼らはラースの妄想を受け入れ、それに合わせようとするのだ。最初はバカみたいだと猛反発していた兄も、彼なりにラースのことを理解しようとし、彼がおかしくなったのは自分が家を出るのが早すぎたからかもしれない、父親と2人きりにするべきではなかったと後悔の念をもらす。ラースの妄想を受け入れることは、イコール彼を理解しようとし、彼を受け入れることだ。町の人達は、実は兄夫婦でさえ、ラースのことをすごくよく知っているとは言えないし、深い付き合いがあるわけではない。そんな人達がラースの世界を想像し、そこに参加することによって彼と関わろうとする姿を見て、人間の想像力とか寛容さというのはこういうことでもあるのかなと思った。ラースに「彼女は人形だよ、君はおかしくなっているんだよ」と言って病院なり施設なりに入れるのも一つの方法ではある。が、兄夫婦と町の人達が取った行動は、人が見ている世界はそれぞれ違うということが前提にあるものだ。そこにほっとした。
 兄夫婦にしろ町の人達にしろ、皆それぞれかしこく思いやりがあるので、見ていてストレスが溜まらない映画だった。また主人公であるラースにしても、いわゆる愚か者というわけではなく、彼なりにかしこく思いやりがある。人と関わるのは不得手だが、人のことを良く見ており、女医に打ち明けるカリンに対する洞察などかなり鋭い。また、同僚の女の子のティティベアがひどい目にあったときの対応は、町の人達が自分に対してしていることと、期せずして同じ行為なのだ。
 ラースは自分を取り巻く世界と上手く関係することができず、妄想の中に逃げ込んでいる。しかしその妄想が、彼を再び世界と強く関係付けることとなる。劇中のセリフにもあるが、「ビアンカは必要があって現れた」のだ。ラース以外の人にとっては全くフィクションな存在であるビアンカが、だんだんフィクションではなくなる(現実に対して影響力を持ち始める)という過程がとても面白かった。終盤、神父がある場で説教をするのだが、ビアンカというある嘘に基づきつつ、述べられている内容には全く嘘がない。ちょっと感動した。
 キャスティングは地味だが的確。ラース役にライアン・ゴズリングをもってきたのは正解だろう。行動だけ見たら「キモい」と言われかねない役を、キュートに朴訥と演じられる人はなかなかいないと思う。かっこよすぎてもダメだし、案外さじ加減は難しかったのでは。また、カリン役のエミリー・モーティマーがとてもキュート。一人で家に帰ろうとするラースを、文字通り体を張って引き止めるシーンはよかった。