ポルトガルはリスボン郊外のフォンタイーニャス地区。この地区には古くからアフリカ系移民が住んでいたが、地区再開発の為、新しい集合住宅へと強制移住させられていた。34年間この地区で暮らしてきたヴェントゥーラは、妻のクロチルドに家を出て行かれ、貧民街と団地とをさまよう。
 ペドロ・コスタ監督の前作『ヴァンダの部屋』を見たときには、インパクトに圧倒されつつもどう見ていいのか分からず戸惑った。本作もやはり、向き合うのに気力体力がいる作品だった。ずっと見ていると、映画と戦っているような感じがしてくる。サスペンスでもホラーでもないのに安心して見ていることが出来ない。しかし今回は、前作に増して美しい。光と影のメリハリが極端に付けられており、さらに画面に妙に奥行きがある構図でインパクトがある。また、前作よりも光が多く明るいシーンが増えた。フォンタイーニャス地区の室内が主な舞台だった前作と比べて、本作では新しい団地の室内のシーンが加わっているからだろう。なんと前作で自分の部屋を確保しようと必死だったヴァンダが暮らす新しい団地の部屋には光が溢れている。しかし同時に白々と、のっぺりとしている。廃墟のようなフォンタイーニャス地区の室内は荒れ、暗いが、陰影が深い。ヴェントゥーラが地区を離れることを嫌がるのも、団地の平坦さと均一化を忌避してのことだろうか。しかし彼も最後には地区を離れていく。地区のいたるところでは建物を取り壊す工事の音がし、一つの時代の終わりを感じさせる。
 しかしヴァンダが団地に住んでいたのには驚いた。しかも夫と幼い娘がいる。前作では意固地に地区にとどまっているのかと思っていたのに・・・。世代の断絶やら均一化やらを全く意に介さず、ともかく生活することだ!というたくましさを感じた。
 本作に出てくる人たちは皆素人で、実際にフォンタイーニャス地区や団地に住んでいる。しかし本作がノンフィクション、ドキュメンタリーかというと少々異なる。ヴェントゥーラはヴァンダを「娘」と言うがそれは大分怪しいし、繰り返される妻への手紙の言葉も詩的すぎる。また、撮影対象への光の当て方は過剰にドラマティックだ。これはフィクションとかノンフィクションとか、もうどちらでもいいのではないかと思う。