大手弁護士事務所に勤めるマイケル・クレイトン(ジョージ・クルーニー)の専門は「揉み消し屋(フィクサー)」。ある日、事務所のベテラン弁護士で、大規模集団訴訟を担当していたアーサーが、依頼人である農薬会社を裏切った。マイケルは事態の収拾に乗り出すが。
 監督は「ボーン・アイデンティティー」シリーズの脚本を手がけたトニー・ギルロイ。本作が初監督作品(脚本も担当)となる。ボーンシリーズでも思ったのだが、私はどうもこの人の脚本と相性がいいらしい。あまりエモーショナルな盛り上げ方はせず、一見地味なのだが、その地味さがいい。さばさばとした歯切れのよさがあると思う。
 本作は社会派映画として宣伝されていたようだが、それはちょっと違うのではないかなと思った。本作の原題は「マイケル・クレイトン」。あくまでマイケルという1人の中年男の葛藤を追ったドラマなのだ。マイケルの職務は必ずしも社会的な正義と一致するものではない。しかし仕事である以上、依頼者に対しては責任があり職業的な正義としてはそれを全うしなくてはならない。そのジレンマの間で悩むのだ。どちらを選択してもどちらかを裏切ることになる。
 ここで上手いなと思ったのは、マイケルが見るからにやり手で波に乗っているのではなく、確かにやり手だが仕事に疲れ、家庭もうまくいっておらず、ギャンブル癖と事業の失敗とで多額の借金を抱えているという設定にある。もし彼が順風満帆だったら、迷わなかったんじゃないかと思うのだ。特に借金というのがやたらと説得力がある。お金がないときって、弱気になるよねー。「オレの人生こんなはずじゃ・・・」と思っちゃうよねー。そこへ「人としてどうなんだよそれ!」と問い詰められたら、そりゃあ揺れるわなと思う。決して品行方正というわけではない、スーパーマンでもない普通の中年男が人生の岐路に立つというところに面白さがあるのであって、彼が遭遇する事件事態が面白いというわけではないのだ。社会派映画と言うには、事件のスケールが微妙に小さいしその内容にもそれほど突っ込んでいない。
 一方、農薬会社の法務担当であるカレン(ティルダ・スウィントン)もまた、普通の人間だ。彼女は法務担当という重要なポストに就いたプレッシャーで押しつぶされそうになっている。追い詰められて、後戻りできない一線を越えてしまうのだ。マイケルとカレンという中年の男女が、ある一線を越えるというところで対照的な配置になっている。
 主演のクルーニーは、最近は渋い映画(『グッドナイト&グッドラック』にしろ『さらばベルリン』にしろ)に好んで出演しているが、本作も基本的に似たライン。この線のクルーニーが好きな方にはお勧めだ。今回は中年男の疲れた感じ、すりきれた感じが前面に出ているので、かっこいいクルーニーをお好みの方にはどうかなという気はするが。また、本作でアカデミー助演女優賞を受賞したティルダ・スウィントンは、地味な役柄ながらいい演技だったと思う。ナーバスになっている感じが、目の動きにすごく出ていたと思う。おなかのたるみも堂々と披露(多分、役作りのために付けたんじゃないかなと思う)しているのがえらい。でもちょっと切ない気持ちになりました。