デイヴィッド・ミッチェル著、高吉一郎訳
 村上春樹とジョン・レノンへのオマージュだそうだが、作風はむしろ古川日出男(『サウンドトラック』の頃の)あたりを思わせる。やたらと饒舌でつんのめりそうにスピーディ、そして夢の中でまた夢を見るような境界の曖昧さ。20才の三宅詠爾は、まだ見ぬ父と会う為に上京する。しかし父との和解よりも、むしろ父なるものへの諦め、対して母親に対する許容がやってくるところが現代的であり、日本人青年を主人公にした作品ならではかもしれない。話がまとまりそうになるとすぐに突き崩すという構造が繰り返され、いわゆる青年の成長ものにありそうなカタルシスが得られないのも現代ならではか。