政府高官の娘セシーリア(キーラ・ナイトレイ)とその使用人の息子ロビー(ジェイムズ・マカヴォイ)は幼馴染だが、お互い愛し合っていることに気付く。しかしセシーリアの妹ブライオニー(シーアシャ・ローナン)の嘘により、2人は引き裂かれてしまう。戦場の最前線であるフランスへ送り出されたロビーをセシーリアは待ち続けるが。
 イアン・マキューアンの小説『贖罪』を、『プライドと偏見』のジョー・ライト監督が映画化。時代物が得意な監督らしく、1930年代の雰囲気はよく出ているのではないかと思う。ただ、原作の救いのなさ、マキューアンお得意のいやーな感じには今一歩及ばなかったか(原作に忠実な映画ではあるのだが)。良くも悪くもアクのない作風の監督なのでは。いや、原作ものの場合あまりアクがない方がいいのかな・・・。『プライドと偏見』を見た時は、この監督は少女マンガ的センスがある(そして前作ではそれがプラスに働いていた)と思ったのだが、今回はあまりマッチしていなかった。ストーリーのオチを考えると、この少女マンガ的センスは決してマイナス要因ではないはずなんだけどなー。
 いまひとつ薄味になってしまった要因の一つは、成長後のブライオニーに割いたパートが、セシーリアやロビーのパートと比べるとちょっと少ないという点ではないかと思う。この作品の大きなファクターである(と思う)、ブライオニーのエゴのあり方を充分に見せることが出来なかったのではないだろうか。うっかりすると、セシーリアとロビーを軸にした、普通のメロドラマとして見てしまいそうだ。もちろんメロドラマとして見ても一向に構わないのだが、そのメロドラマに実はこんな意図が!という構図の逆転が作品のキモであるのだが、そのインパクトが少々弱かったように思う。「つぐない」という題名の皮肉さが際立つ話のはずなのだが、そこに今一歩至っていない感じ。
 撮影、美術は素晴らしい。1930年代イギリスのファッションやインテリアに興味のある人には、そこそこ見応えがあるのではないだろうか。また、海岸での長回しは、戦争の「狂ったカーニバル」とでも言うべき側面を象徴的に見せていて(ちょっときれいすぎるきらいはあるが)印象に残る。俳優が総じて好演している。特にキーラ・ナイトレイの美女っぷりが際立っていた。この人はレトロなファッションと、ちょっと気の強そうな台詞回しが実によく似合う。また、少女時代のブライオニーを演じたローナンの、不思議な顔立ち(いわゆる美少女とは違うのだが変な魅力がある)も印象深かった。