レニー・クラヴィッツ先生の曲は相変わらずカッコイイぜ・・・ってそこかよ!それはさておき、大ヒットした『DEATH NOTE』『DEATH NOTE the last name』(原作はもちろん漫画『デスノート』)のスピンアウト作品となる。前2作内の流れに対するフォローは全くないので、一見さんお断りな作品(といっても、本作単独で見ようという人はあんまりいないと思うが)。監督は『リング』の中田秀夫。『~the last name』終盤からその後の、L(松山ケンイチ)の23日間の物語。Lの元に、新種のウイルス兵器が用いられたテロの知らせが入る。
 ストーリーに関しては各方面からえらい突っ込みを受けているのでどんなもんかと思ったが、確かに突っ込み甲斐がありすぎて、いちいち指摘していくときりがないし完全にネタバレになってしまうのでここではすべて割愛する。タイで大々的にロケを組んでいるが、ロケに費用をかけるくらいだったらもうちょっと脚本をなんとかした方がよかったんじゃないかと思う。
 しかしこの映画に私が全く失望したかというと、実はそうでもない。この映画の主目的は松山ケンイチ演じるLの可愛らしさ(可愛いという事にしておいてくれ)を堪能するところにあるからだ。もーどうせLのファンしか見に来ないんでしょって気もするしな。他のキャストは正直ぱっとしないしナンちゃんに至っては喋るたびに噴出しそうになって困ったけど、松山の奮闘で相殺。いやーえらいよ松山。
 ただ、キャラクター映画としても少々勿体無いことになっている。Lというキャラクターを語る上で肝心であろう、ワタリとの関係の描かれ方が不十分なのだ。映画タイトルから察するに、本来ここがポイントだったのでは。また、ワタリとLを含む「子供達」との関係に触れておかないと、Kにとってワタリがどういう存在だったのかということも分からず、その行動にも納得がいかないだろう。大変もどかしい思いにさせられる。
 さて、原作マンガと映画とはストーリーも設定も色々な点で異なる。私が興味深く感じたのは、父的なものの存在の有無だ。原作ではライトにしろLにしろ、親の存在が非常に希薄(ライトには両親はいるがあくまで記号としての親であり父親としての昨日は持たない)だが、映画デスノートの方では父親が父親として関わってくるのだ。本作ではLが主人公なので、父親的なものはワタリになる。
 更に、原作マンガには、主人公(Lもライトも)が全く成長しない(最初から成長の余地ないくらい強い)という特徴があった。しかし本作では主人公=Lが成長する。彼は子供達を守ることで、父なき世界の中で自分が父的なものになることを引き受ける=彼にとっての世界を変える、となる。この点で映画版デスノート3作は、原作と大きくスタンスが異なると思う。要するにこの映画で最も重要なシークエンスは、擬似家族による屋上のピクニックなのではなかろうか。
 ・・・っていう予定だったんじゃないかなー当初は。如何せん脚本がそれを見せる粋に全く達していない。成功していたら結構な泣かせ映画になったんじゃないかと思うのに。