1970年代のパリ。9歳の少女アンナ(ニナ・ケルヴェル)は私立のカソリック校に通っている。父親(ステファノ・アコルシ)は弁護士、母親(ジュリー・ドパルデュー)は雑誌(マリ・クレール!)記者というインテリかつそこそこ裕福な暮らしだ。しかしカストロ政権化のスペインで反体制運動をしていた伯父が死亡し、伯母と従姉妹が転がり込んでくる。さらに仕事でチリへ行っていた両親が社会主義に傾倒した為、アンナの生活は一変してしまう。
 フライヤーや予告編からは、左翼かぶれの両親に子供が振り回される話という印象を受けるが、実は思想的・歴史的な背景はそれほど重要ではない。いや重要は重要なのだが、この映画の一部であって本筋ではない。両親がブルジョワ的な生活からの脱却を図った為、アンナは若い社会主義者たちや色々な国の女性たち(アンナと弟の子守にやとわれている)と接することになる。その中で、世の中には色んな人がいて色んな主義主張や宗教のありかたが存在するということに気付く、そして、それらは自分が今まで生きてきたカソリックの世界とは相容れないこともある、というを知っていく。彼女が自分で考え自分で選び取っていく、つまり成長していく過程が、この映画の最も重要なところなのではないかと思う。
 本作はアンナの視点でアンナの生活が描かれているわけだが、その視線の先には大人達の世界もある。最初、左翼かぶれのように描写されるアンナの両親だが、確かに拙いところはあるものの、彼らは真剣に社会を変えようとしている。アンナは賢い子で、大人達が窮するようなクリティカルな質問を投げかける。実際、元々裕福なカソリックの家庭に育った両親の行動には、矛盾も多い。母親は実家への遠慮があるし、父親は母親が中絶支援運動に参加していると知って激怒する。しかし矛盾のない人間などいないのだ。自分たちが育ってきた世界とあたらしい価値観とをなんとかすり合わせ、自分たちの思想を作っていこうと、当時の若い知識人たちが格闘する様は興味深かった。子供の成長物語であると同時に、両親である大人達の成長物語でもあるのだ。しかし当時の共産主義者は無邪気というか純真だったのね・・・。
 アンナも、大人にも矛盾や苦悩があるということを理解し、それら込みで彼らを許容しようとする。だからこそ、終盤の父娘のショットは感動的なのだ。