無実の罪で投獄され、妻子を判事に奪われた理髪師ベンジャミン・バーカー(ジョニー・デップ)。15年後、スウィーニー・トッドと名を変えロンドンに戻ってきたバーカーは、パイ屋の女主ミセス・ラベット(ヘレナ・ボナム=カーター)の助けを借りて判事への復讐に乗り出す。
 みんな大好き、ティム・バートン監督&ジョニー・デップ主演の最新作はゴスの香り漂うスプラッタミュージカル。『ビッグ・フィッシュ』や『チャーリーとチョコレート工場』のカラフルさに物足りない思いをしていたファンには嬉しい作品になったのではないだろうか。バートンのダークサイドがもどってきたよ!舞台は霧深い19世紀ロンドン。色彩は極力控え目えにしてあり、ねずみ色まみれなのだが、噴出す血の色だけは鮮やかに赤くインパクトがある。
 トッドの復讐は元々は判事個人に対するものなのだが、途中から不特定多数に対する殺人鬼と化す。「俺が酷い目にあったのはこの世界のせいだ!俺が生きられない世界なんて嫌いだ!」という呪詛は一歩間違うと逆恨みっぽいが(殺された奴は大迷惑)、この一方的な怒り・憎悪には妙にシンパシーを感じる。こういう所はティム・バートンの芯の部分にあるんだと思う。今まではそっとこの世界を去ったり世界と和解したりとオブラートにくるんできたが、今回もろに復讐しちゃっているもんなー。世界に対する呪詛を吐き出してもエンターテイメントにできるぜ!という自信がついたということでしょうか(そしてちゃんと王道エンターテイメント映画になっている、怖ろしいことに)。
 後先考えないトッドの姿は残酷であると同時に滑稽でもある。手段と目的が入れ替わってきているようにも見えるのだ(「奥さんの顔も忘れちゃったんじゃないの?」と痛い指摘を受けたりもする)しかし残酷さ・滑稽さは彼の悲しみに裏打ちされているものだ。悲しみと過去への執着が強すぎイカレた男が破滅に向かってひたすら邁進する姿が、時にコント化する(ボケ=デップ、ツッコミ=ボナム=カーター)この映画をシリアスなものに留めているように思う。
 またトッドに恋するミセス・ラベットの存在も大きい。彼女は死体の始末に困ったトッドに「じゃあパイにしちゃえば無駄にならないわよ」と提案するくらいには狂っているが、トッドとの将来に対して抱いている夢は実に乙女ちっくだ。海辺のお家に2人で暮らして休日にはお友達を招待するの・・・とか夢見つつ人肉をミンチにしているわけですが。そのギャップがおかしさを通り越して哀しくなってきてしまう。なんか、直視できないイタイタしさがあるのよ。
 さて、トッドとラベットは、顔は白々とし目の周りにはクマ、唇もどす黒いという風貌だ。さながらゾンビ。他の人たちも同じメイクかというとそうでもない。町の人たちとか判事とかは普通の顔だ。トッドとラベットはこの世には最早いられない、死人に等しい存在であり、その象徴があの顔なのではないか。とすると、最後、下働きの少年の顔にもクマが出来ていたというのは興味深い。