ニコラ・フィリベールレトロスペクティブにて鑑賞。フランスのドキュメンタリー作家ニコラ・フィリベールの新作『かつてノルマンディーで』の日本公開を記念し、彼の過去の作品を一挙上映するという企画上映があったので行って来た。なんでも、以前MOMAで開催されたレトロスペクティブより充実しているそうです。やるなーテアトル。
 さて本作は1992年の作品。日本でも公開された。ろう学校の生徒を中心に、彼らの生活を取材した作品だ。フィリベールの作品は、説明が少ない。取材対象のプロフィールや社会背景は殆ど説明されない。インタビューでも、過度に突っ込まない。控え目である。しかし対象に対して非常に親密な、距離感の近さを感じる。撮影対象になっている人たちが、カメラを意識した動きをしていないんですね。特に子供だと、授業中にカメラが近くにあったらチラチラ見てしまいそうなものだけど、あんまり(気になる子はやっぱり気になるらしい
見ない。カメラがある状態に相手が慣れるまで、かなり時間をかけて下準備をしたのではないかと思う。
 ろうあ者たちの学習の現場、また労働し、結婚し、出産して新居を探すというごく日常的な姿を追う。彼ら個々へのインタビューはあるが、家族のプロフィールや、ろうあ者であることによる個人的な体験を淡々と話すに留まる。社会のこういう点が問題だ、だからこうするべき、という方向には持っていかない。それを考えるのは作品を見る側の問題である。フィリベールが提示するのは、これもまた世界の一つの姿であるということだ。そしてその世界は豊かであるということ。基本的に人間に対してポジティブな人なのではないかと思う。
 ところで、ろうあ者の人たちの話で、家族全員ろうあ者であるというケースがかなり多いのが意外だった。ろうあ者同士のコミュニティ内で結婚するケースが多いのだろうか。そういう家庭に育った人の場合、当然のことながら家庭内ではろうあであっても全く問題がない。むしろ、学校に通うようになって、他の子が自分と違ってびっくりしたという話が興味深かった。また、健常者の両親が、生まれて数年経つまで子供が聴覚に障害を持っていることに気付かなかったという話もあって、それはどうなのかと思った。幼稚園とか保育園とかに通っていないと気付きにくいものなの?ちなみに手話が生まれたのはフランスだそうだが、教育の現場で使用されることは長らく禁止されていたとか。冒頭の手話で「歌う」シークエンスが印象的だった。